2008年5月30日

 無毛

昔、お妾さんが自分の旦那のことを、「うちのハゲ」と呼んだが、この場合、必ずしも本当の「ハゲ」を指してはいなかった。それはともかく、父は「ハゲ」ていた。そのうえ「サザエさん」の父である磯野波平タイプでもあった。但し、頭頂部の2~3本残存する波平氏とは異なりそこは広々とした無毛地帯であった。子供の私から見ても「ハゲ」が似合っていて、素敵だったから、私もトーゼン大人になれば「ハゲ」になると思い、そうなることを望んでいた。

そうこうしているうちに、小学4年生の頃「ハゲ」の数え唄を、学校で覚えた。その歌詞が「ハゲ」をののしる、あるいは、さげすむ言葉であるとの認識はなく、単に言葉の遊びの範囲でしかなかった。従って、家でも外でも歌い、弟たちにも、歌唱指導したりしていた。

とかく、物事覚えたてと言うものは、あたりかまわず、やりたがるのが当り前だのクラッカーで、比近の例で言えば、木下君の如く、セックスを覚えたての状態が、いまだに続いている事を思えば、より良く現象を理解できるであろう。と言った訳で、それが父の耳に入るのは時間の問題で、“お父さんが歌止めなさいって”と母に注意された、父が直接怒ればよいのだが、きっと恥ずかしかったのだろう。

以来歌っていない。父の「ハゲ」を尊敬してやまない、私は、世の中にはそれを苦痛に感じる人もいるのだと理解するとともに、以後「ハゲ」ている人を見ると、ついつい数え唄を思い出して、心中ニヤリとし、一人楽しむといった、歪んだ性格を有することとなった。

しかし「ハゲ」に対する私の思いは、なんら変わることなく、スタイルの一つとして尊重している。そのせいか、「ハゲ」ているご本人を前にしても「ハゲ」の話題に終始して、随分心無い人だ、とのレッテルをはられたりもする。だから、最近は高橋君のそばでは、注意するようにしているが、彼の頭部は父ほどにカッコ良くない。何故なら、父の場合周囲に残存する毛髪に対して何の未練もなく、「スッパリ」落とし、そこが実に男らしい態度であると、確信していたので、高橋君のように、産毛程度の毛髪を大事にする姿には違和感がある。

そうはいっても、どのように扱おうが、個人の自由なので、あえて意見は差し控えよう。そこで、♬よっつ、横丁にハゲがある♪とあるが、私は好きだ。



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