一流開発部隊=エンジニアへの道

第6回 一流開発部隊の育て方

また、また、零戦の話になります。

前々回の復習になりますが、開発当初世界一を誇った零戦の特徴として、驚異的な航続距離と、世界レベルの高速化を実現した上、旋回半径を抑えて、どの国の戦闘機よりも、運動性能が優れていた点である。事実オーストラリアのポートモレスビー爆撃作戦の折、英国の主力戦闘機スピットファイアーと数度にわたって戦いが実現した。数的不利と、レーダーでの捕捉により零戦よりも高高度に待ち伏せることが出来にもかかわらず、スピットファイアー36機撃墜、零戦3機未帰還という圧倒的な勝利を収めたのでした。当時メッサーシュミット(ドイツの主力戦闘機)に勝利していた部隊もオーストラリアに派遣され、零戦と初めて戦った将校は「零戦はまるで曲芸飛行のような動きでとても手に負えなかった」と回想している。また、日本の撃墜王として知られる、坂井三郎氏は、「零戦はまるで自分の手足のように自在に操縦できた」と語っていた。堀越二郎氏はどのようにして、高速性と運動性能の両立を実現できたのでしょうか。「人間工学」つまり、人が天性持っている特性に合わせて設計する考え方であるが、当時はそのような学問などなかったのです、でも堀越氏はパイロットの話をよく聞き、当時の常識にとらわれず、昇降舵のワイヤーにバネ性を持たせたのでした。急激な旋回であればあるほど操縦桿を引く力が必要になることで、スピードに応じた、適正な昇降舵角を得ることが出来たのです。

つまり、高速だと昇降舵に風が強く当たりワイヤーが少し伸びることで、回転半径がそのスピードに応じた最小半径の回転半径を得られ、遅いときは手の動き通りに角度が決まるので、最も小さな回転半径で回れるのである。そうした配慮のないスピットファイアーやグラマンF4Fでは、どうしても、失速を恐れるあまり回転半径が大きくなってしまったので、零戦の敵ではなかったのでした。

現場のパイロットは、運動性で劣ることは即、死を意味していたのです。堀越氏は、海軍が現場の気持ちを代弁し、妥協できないことを十二分に理解していたのでしょう。

堀越氏がこの開発に成功したのは、偶然ではありません!彼が、戦闘機乗りの側に立ち切ったことが、人間工学の視点を見いださせたのではないでしょうか。ここで私が、注目していることは、数値だけではない血の通った情報がいかに重要かを教えてくれています。優秀な企業のトップであるあなたには、それが出来ることをお知らせして、今回の講義を締めくくりましょう。次回からはいよいよ実践編に移ります。乞うご期待。



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