2008年6月18日

家族

長男は私で、父がイギリスはロンドンの大きな時計台(たぶんビッグベン)にくくり付けられていたのを、縄をほどき連れ帰ったと言う。

したがって、今もってなおイギリス人としての正しい生き方を貫いている。それにしては、瞳も青くないし、髪も真っ黒だ(現在は真白)どう見ても日本人にしか見えない。母国語の英語すら喋れない、ただし、日本語は片言ながら会話程度なら話すことが出来る。どー言う訳か日本国籍を取得している。

二男 は、横須賀市上町寿徳庵まえの橋の欄干に、頭を挟まれていたところを、通りかかった母が「アラ、かわいそう」と助け出し家族の一員に加えたそうだ。お兄ちゃんになりたくない、と、訳の解らない理由で私は反対したそうである。そーいえば、二男は鉢が大きく、いかにもどこかに挟まれそうな頭部形状である。

三男は、母が宇東川で洗濯中、上流から大きな玉ねぎが、どんぶらこっこ、どんぶらこ、と流れてきた。転がしながら家に持ち帰り、スパッと割ってみると、中から、みっともない子供が「おぎゃ」と出てきた。桃から生まれてくるならば、なんとなく解るが、玉ねぎにどうやって入ったものか疑問が残る。そのせいで、三男は中身が無いと言われて久しい、皮ばかりだからだろう。母は転がしたのがいけなかったと語ったが、それでも60歳になってしまった。

ある日、宇東川にかかる名もない橋の下に、怪しい風呂敷づつみと共に打ち捨てられていたのが、何を隠そう四男である。涙が出るほどかわいそうに思った父母は、何のためらいもなく拾い上げたと聞く。兄弟の中で一番みじめな生い立ちではある。気の毒だ。

こうして、我家族が構成された訳だ。考えてみれば、熊本出身の父と大阪岸和田出身の母にしても、あきらかに血のつながりも無いのも事実に違いない。今となっては、頼みの父母も亡くなり中心は三男と私になった、兄弟も良く集まるが、理由あって、たまにしか来ない者もいる。子供のころは、随分貧乏をしたが、周り中が貧乏だったので卑屈になることもなく楽しく暮らしていた。そんなことだからどういった家族構成であっても、成立するのである。一人は一番良くない、三男と私は娘がそれぞれ独立したので、残念ながら、今二人家族をしている。



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