2008年7月4日

メガネ

昔は、小顔の部類に入っていた。だから、自分としては目と目の間なんかも離れていたはずである。それがひょんなことから、認識の違いに気がついた。メガネを作りに行ったとき、厭でも鏡に写して形を選ぶ、その時、よくよく観察して見ると、造作そのものが中央に集中しており、昔の面影はない。多分そう言う成長の仕方だったのだろうから、文句を言ってもいたしかたあるまい。

ところで、最近の流行は小型化したフレームにあるらしく、並んでいるものも多い。云わずと知れているが、流行に大変敏感であるから、どうしても、流行りものから選ぶことになる。数種類を選び、かけてみると、両側のガラス部分が多く残り、いかにもバランスが悪い。にもかかわらず、どーしても売りたいと思っている店員は「どーして、どーして良く似合っていますよ~」と、歯の浮くようなお世辞を言う。

見え透いてはいるものの、その言葉にはめっぽう弱い。ついつい「そうーかー」などとうなずいたりして、購入してしまうのである。つまり、その気になってしまうといった、老人特有の心理であろうか?似たケースに、老人家庭のリハウスを過剰に施す業者がいたりする。

とにかく、物の良し悪しの判断が出来る筈のない心弱い老人は、悪徳店員の言うがママ、茄子がパパと言った状態の陥ってしまうのである。そう言った訳で、最近の私を見ると、小型フレームのメガネをかけて、あたりを歩行しているが、心ある人々は、実に似合わないメガネをかけている私を見かけても「アッ、眼鏡変えたんだ、でもどーして目玉を中心に寄せているの」とか、「なんだか顔がデカイ」などと言わないでほしい。

もし、どうしても言いたくなってしまったら、是非木下君に言ってほしい。彼なら、どのように罵ってもかまわない。それは、彼の目玉を見ればすぐに納得できるだろう。瞳が見えないくらい細い、さらには幅も無い。旧式のメガネをかけているから、いかにもレンズの無駄が多いと言わざるおえない。ECOの時代にはいかがなものか。



▲ページトップに戻る