2008年5月25日

 関西弁

お笑いを中心に関西弁が幅を利かせている。別に悪いことだとは思はない。母方に関西の流れをもつ、私には何の違和感も持たない。そこで思うのだが、公用語を全て関西弁にしてはどうだろう。あの「東京タワー」で使用される「オカン」「オトン」や「アホやなァ」の語感は、東京弁では表現できない言い回しでなにやら、「ドキッ」と胸がときめいたりする。

特に京女の話し方は、東男にとって心を和ませる何かがある。私には京都に沢山の従姉妹がいて、京言葉独特の柔らかさを耳にしている。大阪弁については、山崎豊子の小説「のれん」「ぼんち」あるいは「女系家族」を読むと良い。そう言った訳で、大阪弁を男言葉、京言葉を女言葉として、公用語に採用してほしい。さすれば、世の中なんとなく、まったりして物事万事すんなり進むような気がする。

わが木下君にもその恩恵がある。彼は東北の物凄い田舎出身で、方言が消えない。関西弁が標準語となれば出発点は私たちと同じだから、公用語になじむのも同じだろう。ただ心配なのは、木下君出来も悪いし、心も悪い(冗談)。従って、通常人(私自身は通常人と思っているが、少し変かも・・)より多くの時間が必要となるかも知れず、そこが悩ましい。

彼が使用していまだに記憶の残る、方言で「伊豆に伊豆行く」の名方言がある。これなんかは、「伊豆にいつ行かはるのやろ」となり、「伊豆に伊豆・・・」となっても問題はない。「いつ」→「いづ」の発音については、幾多の指摘にもかかわらず、木下君頑固にも治そうとしない。

それはともかく、関西公用語が国民あまたの同意を得られ浸透し、国会でもよろしく承認された場合、関西の文化が優先されることも考えられるが、関東にもそれなりの文化はある。その時は、守らなければなるまい。たとえそれが、「関東のつれしょん」であってもである。

その昔、天下の秀吉と家康だって、小田原北条攻めのおり、城、目がけてやったそうではないか。



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