ブログ記事の一覧

2015年

2月

02日

練習中

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2015年

2月

02日

久々のブログ

5年間のご無沙汰です。

これから少しづつはじめますよ

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2015年

1月

07日

花火

江の島の花火大会が、8月5日午後7時30分から始まる。毎年ビルの屋上から見物、モチロンビール片手にである。昔は、「たまや~」とか「かぎや~」などと大きな掛け声が飛んで、相当盛んだった。今は、掛け声をかける人はいない。暗闇にまぎれて、いかがわしい事をするのは、木下君ぐらいのものだろうから、かなり、平和と言わざる得ない。その木下君、女性もものすごく好きだが、花火も大好きで、彼に聞けばいつどこで、何発打ち上げるかがわかってしまう。その正確な情報に従って都合をつけ、出かけていって楽しむのだ。

木下君は趣味と言うか「オタク」と言うか、いろんなものに興味を示す。なかでも、鉄道に関しては、TVの取材を受けるほどだし、ダイビングでは、もう教えるほうで、私にも「どうですか一緒にやりませんか」と勧めたりもする。船舶免許は1級を持ってているし 

 (私も過去には持っていたが、ヨットをやめた時に失効した)、模型飛行機(ラジコン)はプロ級、模型ヘリコプターはその操縦コンテストで3位に食い込むなど、その方面では一流らしい。ことほど左様に、各方面に能力を発揮するのである。

「いやいや、この私、そんなに褒められちゃあ、照れちゃうなあ、だからかどうか、性生活も充実しています。子供も4人いますし」と聞いてもいない事まで答えるので、実に不愉快でもある。

それにしても、彼の趣味は、趣味を通り越していて、どの道を行っても食べていけるのが悔しい。このうえ、仕事さえこなしてくれれば何の文句もないが、これだけ趣味を持っているとやはり仕事まで手が回らないのカナ?と聞いたら、

「アッハッハー、ま、確かに趣味は多いですが、仕事にも実力を発揮してますゼ」と生意気を言った。

あまりに憎いので、新潟でしかできない40号(4尺玉、直径120センチ)に木下君をくくり付け打ち上げてしまいたい。

ちなみに、江ノ島花火大会では20号(2尺玉、直径60センチ)が最大でこれでは彼は打ち上げられない。

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2015年

1月

07日

2008年7月27日

散歩の途中で、花の絵をかいたり、写真を撮ったりする。花が好きだからだ。そんな風に木下君に行ったら、

「僕の場合、女性をとても好きですが、それを、絵にしたり写真にしたりはしません」

「どーして?」

「本当に愛しているからです」

「エッ、君から愛しているなんて言葉きくとはおもはなかったよ」

「君を知る人たちは、心のないセックスをすると言って非難しているけれど」

「そーんなことはありません、多分僕が、そういった場所に出入りするからでしょう」

「うん、それはみんなが知っている」

「でも、皆さんは、表面上のことしか知らないから、そんな事を言うのです」

「どーして?」

 「いつも、高橋さんにさそはれるから、いやいやつきあっているんです」

「それにしては、いつも嬉しそうに行くじゃない」

「いやだなー本当の僕を見てください、お願いしますよー」

「高橋君、そうなのかい?」

「違いますよ、木下君がムチャクチャ誘うんですよ。嫌だと言えば、もう大変、死んでやるとか言うんです」

「なんだやっぱりそうなんだ」

「とうとうばれちゃいましたね、チャンチャン!」

とまあ、木下君は生まれたときからのスケベであることが、明らかになった。それにしても、花がことのほか好きでたまらない。そんな事から、「もしかしたら、私は花の精かも知れない」と厳かに言ったら、木下君が「そんな汚い、花の精はいませんよ」というと、皆もいっせいにうなずいた。

どうにも失礼な人たちである。

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2015年

1月

07日

2008年7月26日

気象

近頃は大分難しくなったようだ。気象予報士の試験である。TVでは天気予報がかかせない。多かれ少なかれ、天気に左右される仕事がある。

現在の予報は、昔に比べ的中率が高くなっている。富士山の気象レーダーはもう活躍していないが、衛星による観測が功を奏しているのだろう。

それはともかく、理由は定かではないが、運動会には雨が降る。この季節の天気は、昔から男心と同じで変わりやすいのだろう。ところで、江戸時代にも「空見師」と言う職業があった。花見などを町内や、大きな商人、武士が行うとき主催者は「空見師」にお願いして実効日の天気を見てもらうことになる。

「空見師」は大方20日から30日後の天気を当てる訳だが、近代的なものの全く無いころ、元になるものは、統計でしかない。過去5年間以上の天気状況から特異日(東京オリンピック開会式の十月十日に決定した)を見つけ判断を下す訳だから、詳細なデータが必要になってくる。

それがこの職業のすべてで、いかに詳しい資料を持っているかにかかってくる。当然、天気を見てもらうには、お金がかかる。一回の見料は二分(一両の半分)で、いい腕の大工が一カ月に稼ぐ額が二両から三両であったから、相当高いものだったのだろう。

しかし、江戸時代も後半になって来ると天気は、意外に安定していて、「空見師」のあたる確率はよく、商売になっていたようである。当たらなかったら誰も頼まなくなってしまうからだ。それにしても、天気のことだから、外れても当時はそれほど責められはしなかったようだ。

今でも、天気予報には当たり外れがあることを、多くの人が心得ているから、外れたからと言って「人でなし、あるいはバ~カ」とは言われない、割と良い商売である。

木下君は、それを聞いて、「僕たちは、仕事で間違うことはできません、機械は壊れてしまいますから」「そうですね、厳しいところがありますね」「じゃあ、給料上げてください」「それはできません」「なんで~」

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2015年

1月

07日

2008年7月24日

ゆーれい

前にもお知らせしたが、ユーレイが好きである。しかし、外国の足がしっかりあるやつはどうも好きになれない。純粋の日本人だからかなァ。どことなく儚い感じがとても好もしいのが、白糸の滝など水辺に出て、2~3個の狐火を引きつれて、漂っているやつである。

世界で一番と思っているのは、“番町皿屋敷”に登場する「お菊さん」で、とにかく美人だったそうだ。物語の原型は、「播州皿屋敷実録」で姫路城9代目小寺則職の家臣青山鉄山が引き起こした謀反事件に由来する。それを土台に「岡本綺堂」が1916年(大正5年)「番町皿屋敷」が発表された。

あらすじは、旗本「青山播磨」と腰元「お菊」は相思相愛、結婚したかったが、身分違いで出来なかった。そこえ、播磨に縁談が持ち上がる。彼の愛情を確かめるため、家宝の皿を一枚割るが、播磨は不問に付す。ところが、周囲に、わざと皿を割る「お菊」を目撃していた者がいた。“そんなにワシが信じられんのかー!”と激怒する。手討ちにされる「お菊」。荒ぶ播磨、お家は改役となってしまう。ところで、番町は現在の千代田区一番町~六番町あたりで、「東海道四谷怪談」の舞台も近い。

「お菊」はとびっきりの美人で、そのユーレイも、ともかくいい女だったらしい。映画でもいろんな美人が挑戦したが、個人的には、長谷川祐美(長谷川一夫の姪)の「お菊」が艶っぽくて、「一ま~い」「二ま~い」「三ま~い」・・・・「九ま~い」と数え素敵だった。有名な話だから、落語にもなり、随分に舞台慣れしたお菊さんになっていて、面白い話である。ところで、ビル街にユーレイは出にくくなっているので、なんなら、田舎に引っ越してくればいいのに。やはり小川と柳、ホタルも数匹飛んでいるようなのがいい。

木下君に「どうだユーレイなんか?」 聞いたら「怖くて嫌いです」という、情緒も何も全く無い。それでも一緒に飲みに行く。

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2015年

1月

07日

2008年7月23日

ヨロレイヒ

西洋、それも、オーストリアやスイス当たりでは、牧童たちの伝達手段として、ヨーデルがある。裏声を使ったやつで、山ヤマにこだまして、美しい音色である。日本でもウイリー沖山が有名だ。“山の人気者”の歌詞のなかに♪娘と言う娘は、ヨロレイヒ~?とある。

それは一寸置いといて、鬱陶しい梅雨は、そこいらで、雨宿りするかのように足踏みしているが、来週にでもなれば、物凄い暑さがやってきそうだ。かなりー(現代言葉使い)好きな季節である。そう答えて”ふと”思ったのだが、じゃあ嫌いな季節があるのか?冬は、好きなスキーシーズンだし、春,秋は絶好の花見であり好もしいに決まっている。

マア、1年中楽しい訳では有る。夏には特別の出し物があってそれも好もしい原因の一つである。そを、幽霊なのだ。熱い季節に妙に気味の悪い涼風がスーっと流れると、柳の袂なんかに足のない女が、着古した浴衣を身にまといでる。こお言ったタイプは実にオーソドックスでヨーデル。ヨロレイヒ~であるのだ。このフレーズを使いたいために、出だしの二行を使用してしまったことは、ここでお詫びせねばなるまい。どうしてどうして、長い引用では有った。

それはそうと、日本での幽霊は、人が亡くなる時に魂が抜け、それが霊魂になってさまようとされている。実際に直前の体重死後の体重は一瞬にして変化するそうで、減少分が“魂”だ とされている。そう言ったことで、この国には、ことのほか幽霊が多い。

ただ、見える人と、見えない人がいてその人にいくら説明しても、わかってはくれないだろう。子供時代には(幼少期)すべての人に見えていたのだが、大多数の人が忘れてしまい思い出すことも出来ないらしい。

覚えている人でも、年を重ねるごとに見なくなるそうだ。従って、私などはもう見えない年齢となってしまったので、少し寂しい。私が最後に観た幽霊は、二十歳頃、夏の夕暮れ時、防波堤の上を歩いている、前方から浴衣を着た女性がやっつて来る、すれ違えない幅の防波堤。近ずいてきたその人は、私の中をすり抜けていった。スーッと涼風、振り向くと徐々に透き通ってゆく女性。それにしても、年をとって見えなくなるのは、度の増してゆく老眼のせいなのだろうか?

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2015年

1月

07日

2008年7月22日

メット

運動するにしても(スキー、自転車、野球ETC)、仕事をするにしても、近頃はヘルメットが必要となる。自分の身を守る為だから、致し方が無い。相当呆けている現在、少しでも頭をぶつければ、お終いだ。だから鬱陶しくても、かぶることになる。鬱陶しいという字もいかにもうっとうしいが、それはさておき、木下君などは、「似合いませんねェ、何でかなァ、多分顔が良くない所為かなァ」と言う。失礼なやつだ。

とりあえず、運動や遊びの時のヘルメットは、何の邪魔にもならないが、仕事になると、どうしてもいやになる。それというのも、メットをかぶる仕事は、厳しいことが多く、力を発揮しなければ済まなくなる。だから近頃は、木下君たちにまかせている。その時は手伝は無い 、心の中では彼等を手伝いたいと思うのだが、折角、彼等に与えた試練を無駄にしたくないからだ。

この恐ろしく困難な仕事を乗り越えてこそ、光輝く未来が待っているのである。こんな素晴らしい事が言えるのも、困難な仕事を率先して求め、こなしてきた私だからである。

ところで、ヘルメットを長時間かぶっていると、外したとき内側に取り付けてある、樹脂製のアミどうりの髪形になっている。ヘルメット内が蒸れるからだろう。それで済めば何の問題もないのだが、実は樹脂製の網に我白髪が2~3本絡みついて抜けてくる。

もう歳なんだから、抜けちゃってもいいよね。なんて言っているのも、多分まだ髪が残っているからなのだろう。これが全部抜けてしまはないと、無毛の人の心持は分からないのだろう。それにしても、些細な出来事に過ぎず、自然に時間は音もなく過ぎて行く。私みたいに妙に心の狭い人間は、他人の眼ばかりを気にして、人本来の姿を見失っているに違いない。

今更ながら「バカだな~」と感慨にふけっているところである。「木下く~ん、飲みに行こうか?」「いやですよ、だって説教するんでしょ?」「しないよ」「こないだだってそう言っていたけど、したじゃないですか」「じゃあいいよ、月田さんと行くから」「すいません行きます」「最初から気持ちよくそう言えばいいのに」「すいません」

木下君の「すいません」には心がこもっていない。

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2015年

1月

07日

2008年7月20日

報復

うちの木下君との姻戚関係は、全く無い木下順二さんに「夕鶴」と言う劇がある。所謂「鶴の恩返し」が元になっていて、助けた鶴がそのお礼に、自分の羽根で織った織物を贈る、ある日、見ないでくれと言われていたにも拘わらず、つい見てしまったので、お別れせずには居られなくなってしまう物語だ。

話自体は、木下君にも似ている部分はある。それは、見てはいけないものを、興味本位に覗き見ると言った行為で、ほとんどの場合守れない。ただし、私が昼寝の時、「木下君覗いちゃあ駄目だよ」と言えば、ゼッタイ覗かない。興味が無いからで、これが、月田さんだったら当たり前のように、のぞき見る。そを言う人である。

今日は、彼の話ではなく、家の近くで起こった実話に基ずき、お知らせしよう。ある日、瀕死の状態で見つけた“モグラ”を、つい気の迷いで助けてしまった。普通“モグラ”は、光を嫌うから、日中に見ることはない。それが、朝方ばったりと倒れていた。大きさはネズミくらいで手足は土を掘り返すのに、都合良く出来ている。

そいつは、どうも肘を痛めたようで、利き腕かどうかは定かでないが、右肘だ。わずかに出血もしている。そこで、傷口にはアカチンを塗り、割り箸を削り“添え木”にして肘を固定し冷暗所に隔離。急いで餌となるミミズを確保して与えた。すると三日ほどで、元気になったので、倒れていた元の穴付近に戻してあげると、こちらを何度も振り返り、頭を下げながら戻っていった。

こう言っちゃあ何だが、心がいかにも美しい。誰がって?私に決まっているじゃあないか。だから、「モグラ」だって助けるのである。でも本当に心が美しい人は見返りは求めない。そこえいくとかく言う私は、積極的にではないが、あったらいいかな?ぐらいには、と思ったりはする。

それから、数か月、大きな掘り起しの中に、数知れぬミミズがうようよ。皆さんは知らないかもしれないが、私はミミズをいただかない。おそらく、助けた「モグラ」の恩返しかもしれないが、却って迷惑である、心は美しいが、貧しい私には「報復」としか思えない。それにしても、同じ助けるなら「ツル」か「カメ」が良いようだ。

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2015年

1月

07日

2008年7月19日

スター

物心ついてから見た映画は、小学5年生で見た「山河を超えて」で、内容はある家庭の飼い犬の物語であった。ある時、飼い犬が遠方に貰われていく。どうしても元の飼い主に逢いたくなった犬が、数百キロ離れた実家に帰ってゆく物語だった。それから始まり現在まで、映画に毒されている。

小学生のころは、東映、大映映画 が多く、中村錦之助、東千代の介、千原しのぶ、花園ひろみ等が馴染であった。特に、花園ひろみが好きで、選んで観に行っていたように思う。そのころは、平気で来週に続くと言う現在で言うと連続ドラマのようなものもあった。

中学生になると、洋画に見眼ざめ「太平洋機動部隊」のジョン・ウエインに憧れたりしていた。それが過ぎると、熱病のようにやってきた、石原裕次郎を代表とした日活映画であった。彼を最初に観たのは「乳母車」だったと思うが、役者と言うより近所のお兄さんと言う感じだった。それが新鮮だった。「太陽の季節」でブレイク、その後亡くなるまでに数多くの主役を張った。相手役は浅丘るり子が圧倒的に多かったが、「陽のあたる坂道」などの、石坂文学作品のヒロインには、芦川いずみが出演していた。

実は、今でも大ファンでいるのは、その芦川いずみなのである。証拠に彼女のDVDは数本もっつている。たしか、日活俳優の葉山良二と結婚したのだが、何で私を差し置いて、そんな事をするのか!と憤ったが、後の祭りであった。

私はと言えば16歳の秋のことだったのです。高校生になる少し前に「1500メートル決勝」を見た。内容は今でもはっきりと覚えているが、この映画のおかげで、その後の陸上競技に情熱を傾けることができたのである。ただ自分ひとりで部室の扉をあける勇気はなかった。

今でも友達の、召田君が「陸上部に入ろうよ」と誘ってくれた。感謝している。このように、映画は時として人生のちょっとしたトリガーになることもある。言うまでもないが映画はじつに面白い。

 

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2015年

1月

07日

2008年7月18日

焼きソバ

B級グルメのコンテストで優勝したことがある。静岡県富士宮市の名物「富士宮焼きソバ」のことである。まず麺であるが、「蒸し麺」を使用、モチモチとした感触で他の麺とは一線を画している。

作り方は、鉄板にラードを多めに溶かし、そこに、肉カス(ラードを抽出した後の物)、魚介類、海老、野菜類を炒め塩、コショウで味を調える。麺を入れ、かつおだし汁で麺を戻し炒める。3分くらいで麺に火が通ったら、ソース(ウスターソース、醤油、煮切酒)を絡める。これに鰯節を粉末にしたものと青のりを適宜乗せれば出来上がる。

もうすこし、高級にするには、卵をボールに溶き、だし汁、砂糖を若干量、マヨネーズを小さじ一杯を加えかきまぜ、オムレットを作る。出来上がっている焼きソバの上フワリと乗せれば、一寸したものになる。西富士宮駅周辺にも、沢山の店が存在するが、自身のランキングでは、一番が「明日香」、次は「ウエストギャザ」が良い。

他店でも一定レベルなので、どこでいただいても、おいしい。平均で、600円、高いところで950円、安くは400円で、即席もあり250円で売られている。ところで、「明日香」に出かけたら、どこかのTV局が取材していた。レポーターは随分かわいい女性だった。

翌日、「明日香」に行くと、いかにもたこにも、お喋りで自慢しいの女将さんが「昨日はお騒がせしちゃっつて、すみませんねェ、あのレポーター“大沢たかね”とか、いや?“あかね”とか言って野球の大沢監督のお孫さんらしいわよ」と、語ってくれた。

私だってTVで見て知っている。実物のほうが、ほっそりしていて、すごく良い。昔、花園ひろみ(山城新吾と結婚のちに離婚)の熱列ファンだったから、同じタイプは、やはり好もしい。

家に帰って、早速娘にTELすると、「じゃあ、あかねさんと、結婚すれば」と、木で鼻をくくったような返事。娘は35歳と33歳になるのだが、君たちもまだ十分にいける。と心にもない事を云っておいた。それにしても、あかねさんは若い、若いだけで美しいのである。65歳の私は実に汚い。

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2015年

1月

07日

2008年7月17日

ペジラ

環境問題のあおりかどうかは定かでないが、原子力発電の設置が加速されそうだ。以前から、日本では核汚染物質の廃棄問題で、政府は助成金をつける代わりに、廃棄物を埋めさせてくださいと、地方に立候補を募っている。廃棄方法は、地中300メートル~3000メートルにうめる。すると、数百年ののち地中に含まれる塩分が、廃棄物を包み込み外に漏れなくなるらしい。「だから安全だ!」と言う。そうかなーと思う?

何故なら、昭和29年に日本にも表れた「ゴジラ」は、第5福竜丸に象徴される 「核実験」の産物である。この歴史から考えると、埋められた廃棄物が均等に塩分で覆ういつくされればよいが、ほんの一部でも、塩分濃度が極端に薄い部分が出来れば、そこから、原子力生物の誕生はあると言わざる得ない。

あるいは、塩分が包み込む前に周囲のバクテリアが反応して、新しい怪物の誕生となっても何の不思議も感じないのだ。なにしろ、核実験からわずか数カ月で「ゴジラ」は誕生したのであるし、知らないうちに「ラドン」だって生まれているのだ。まあ、翼長30メトール以上の「黒頭ワシ」も、三宅島火山噴火によって絶滅したのと同じように、「ラドン」も噴火する火口に落ちて死んだ。そう言う偶然はそうは起こらないから、随分被害を受けることになるのだろう。

こう言ったことで生まれてきた、原子廃棄物怪獣は多分「ゴジラ」に因んで、何で因むのかは、不明だが「ヘジラ」と名ずけられるに違いない。そして、東京にも現れ、新しく出来た「タワー」もこいつになぎ倒される運命にある。

怪獣は、姿形が「ペンギン」に近い恰好で、後頭部につっぱつた髪をもつ。但し、前葉頭部はテカテカに禿げていて愛嬌がある。足が短く歩行速度は極端に遅い。ぱっとみて、「アッ、ツルぴか禿げ丸君だ」と勘違いする子供もいる。本当は、「ヘジラ」なので「違うぞ!」と注意しても良いが、何しろ子供のことである、大目に見よう。

ところで、有識者の間では「ヘジラ」は「なんだか臭そうで、イヤ!」との意見が大勢を占め、改名をしようかとの機運が盛り上がり、なるべくなら、現状の「ヘジラ」に近いほうが一般受けしていいのでは、と言うことで「ペジラ」にしよう。こうして、今度現れる原子怪獣の名前が確定したのであった。

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2015年

1月

07日

2008年7月15日

合宿余話

最近どうも、物覚えが悪くなった。年をとった所為だろう。その代わりといちゃあなんだが、物忘れは滅法良くなったので、行ってこいだろう。それはそうと、ゴルフ合宿では、夜に、どうしても、繁華街に出かけ酒盛りとなる。つまり、反省会である。

皆は、私に酒を無理やり勧める。飲めば女性が綺麗に見えるし、さらには、酔ってしまうと言う悪い癖がある。挙句の果てが、二日酔いになる。ともかく何かの陰謀に違いない。それは、翌日にはっきりとわかる。スタート直後の数ホールは、カップを見るとついはきたくなる。昼過ぎにならないと回復は難しい。それから勝利を目指すのは、かなり難しい。

これが目的であろう、あるいは、私の肉体が目当てなのかもしれない。ところで、山田君は夏の日差しを極端に嫌う。頭部地肌を日焼けさせたくないからだ。思い起こせば、去年の合宿時に、午前の半ラウンド約2時間自分の不注意で、帽子をかぶらず灼熱の太陽に頭部をさらした。結果、後頭部「ツムジ」付近毛髪の偏り、つまり、バーコード状に日焼けしている。

2~3日経過すると「ツムジ」付近が、赤くなり、それかおさまると、皮がむけだしそれが痒いのか、ついつい、「かきむしる」といった行為に走る。不幸なことに「かきむしる」爪の先にわずかな皮膚と、数本の毛髪が付着してくる。日中は幾分か注意もするが、眠ってしまえば、「かきむしり」放題。そこに待っていた事実は、そうとう、ひどい現実を残したのである。

「ツムジ」付近に毛髪過疎地帯が実現したのである。あれほどくっきりと残っつていた「ツムジ」はうっすらとしか残存していない。巷では、「ツムジ」も間もなく消滅するであろうとの、心無い指摘もある。この際だから、薄く残る「ツムジ」を、見学させてもらい、その清らかな瞳に強く焼きつけておくのも一興かも知れない。見学には、階段を降りる山田君をひそかに見るのが、基本的人権を守る立場にある私達の良識である。

今年は、教訓を生かし「旧日本軍」が南方戦線で着用していた「ひらひら付き帽子」をかぶってプレーした。しかし、山田君のゴルフはコースに逆らうから、右や左の山や谷を選ぶようにして進む。時として、草深き谷間から這い上がってくる姿は、何やら敗残兵を思わせ、遠くなった戦争を思い出し涙ぐんだりもする。

年はとっているが、私は戦争には行っていない。だが、もしも参加していれば日本は勝利していただろうことは「屁をするよりも明らかだ」。そんな思いを胸に、合宿も6月は無事にすんだ。福原選手ではないが「サァー8月も頑張ろう」

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2015年

1月

07日

2008年7月14日

祖先

46億年前、地球は太陽を回る10個程の衛星がぶつかり合って、今の大きさになったそうだ。そして、その恩恵で、38億年前には、海の中に生物が発生していたという。生命と言ってもバクテリア(10ミクロン程度)であった。この生命体が、今日まで生き残って私達になったらしいのである。

現在までの間に、直径400キロメートル前後の隕石が地球とぶつかったのは、8回とされているが、都度地殻津波(地表がはがれる)が起こり、地表全体が4000℃~6000℃(ちなみに太陽表面と同じ温度)になり、瞬時に海水と塩は蒸発し雲となった。この雲が地球に引き留められたのは、地球の大きさが最大の理由なのだ。

今まで、このときバクテリアは、いつも死滅していたと考えられていたが、実は、地表と地球内部の境目に、50℃の部分が残っていてバクテリアはそこで生存していた。それが証明されたのは、2億5000万年前の塩の結晶中に残っていたバクテリアをとりだし4ヶ月間培養したところ、元気に分裂を始めたという。つまり休眠していたわけである。一回の隕石衝突から、海が戻るのに要した時間は約2000年かかった。

それにしても、生命の持つ力は想像を絶する。現在地球上に残る隕石衝突の痕跡は、アリゾナのバリンガークレーターで直径1.2キロメートルあり、観光地になっている。当たった隕石の大きさは、せいぜい数10メートルであっつたらしく、その衝撃の大きさに驚いてしまう。

今、地球は温暖化の一途をたどり、絶滅が心配されるほどになっている。人間の英知が絶滅を避けるのかどうかは、あと数100年の後に解ることになる。

G8が開かれているが、環境に対してはっきりとした指針も出ていない。ただ言えるのは、地球が存続している限り、生き残ったバクテリアから、数億年のうちに、もっと優れた生物が現れるかもしれない。

それにしても、すべての人類が、同じ根っこから出ている事は 、明らかなのだが、私はどうしても木下君とは、違っていると思いたい。ささやかな、わがままである。

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2015年

1月

07日

2008年7月11日

合宿

北京オリンピックも1ヵ月後に迫り、出場する選手もほぼ決まった。それぞれが、強化のための合宿に出発している。活躍を祈るばかりである。何を隠そう、私達も、毎年6月と8月に合宿をする。それぞれ、5日間でほとんど、長野県の高原が多い。今年の6月はスキー場で有名な妙高高原で行った。参加者はいつも同じメンバーでゴルフのスコアアップのために実施するのだ。

木下君、月田さん、山田君、私の4名で各々のスコアは、90~110でここ数年何等の進歩もない。3名はいずれも私が手をとり、実に丁寧に教えたつもりなのだが、その甲斐もなく低迷している。一部に教え方が悪いとのご指摘もあるが、こればかりはどうにもなるまい。教えているのが、ずぶのシロートだからである。

自身が教えられ上手でなく我流なので、他人から見れば、いかがなものか?と思われるようなスイングであろうことは明白である。笑っちゃうが皆同じスイングをする、それでも、選手になるつもりもなく、楽しむことが主たる目的なので、まあ、これでも良いとせざる得まい。

宿泊は、野尻湖ウイスタリアと言う、料理もおいしいし、それより何よりスタッフー(イケメンではないが)の質が良く楽しませてくれる。1日少なくとも1.5ラウンド~2ラウンドをこなしたいと思うのだが、この時期は太陽光が強く、頭の薄い、山田君や私にはとても辛く厳しい。だだ、4人の間の闘争心は凄くお互いのスコアに一喜一憂する。勝利した人が御馳走するルールなので、いつも私が勝たねばならないから、卑怯な手をたくさん使う。

主には、ささやき作戦が多い。たいていの人は、良いイメージでスイングに入ろうとする、それを少し崩してあげるのが効果がある。ささやきの、中身については発表しない。理由は明白で8月の合宿が迫っているからだ。ここで漏らせば、彼等も警戒するであろうからである。

但し、彼等が私に対して、ささやくと誠に弱く必ず失敗する。そう言った訳で、お互い様かもしれない。従って私たちのゴルフに明日はない。

今日嬉しいことがあった、陸上競技の走り幅跳び女子、池田選手がオリンピックに出場できることになった。応援していたのでよかった。オリンピックはやはり参加することに意義がある。

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2015年

1月

07日

2008年7月10日

手と毛

よく行く駅前の薬局はいつも混んでいる。御主人の人柄と奥さんの笑顔が店を盛り上げている。用もないのに暇さえあれば足を運ぶ。御主人、頭がツルツルなのだが、手の甲や指にまで毛がボウボウなのだ。

何故そうなってしまったのか、私にはすぐに推測された 。多分涙ぐましい努力の結果に違いない。それは、増毛したいために各種の「育毛剤」を試したのだろう。薬局と言う立場上何とか成功させ、利益率の高い「育毛剤」を多く売り、店を建て替えたいからだったのか?「育毛剤」の効果を高めるためには、頭部に振りかけたあと、揉み込まなければならない。このとき、手の甲や指にも「育毛剤」が絡みつき、効果が発揮され、ボウボウに生えるのだ。

だから、「育毛剤」はとても効いていると言わざる得ない。但し頭部にまでは効果が及ばなかった、それだけの話である。但し、御本人に聞いたわけではないので、あくまでも真実に迫りたい人は、本人に確かめてほしい。そして、御主人の偉いところは、「育毛剤」を置いてはいるが、積極的に進めることはしないことだ。

これは、先物取引や、海老の養殖事業で人をだます商法に、(こう言った人は決して自分はやらないものだ)走らなかったことにある。もし彼が、その気なら今はやりの「カツラ」を貼り付け「ほらこんなに効いたんですよ !」とやれば、大儲けは目前だったのである。「リーブ21」をも凌駕したのではないか。従って店は古~いままだ。

そを言った事を、偉そうに語っている私に、木下君は実に冷たく言う「やらなくて良いんですか、エッ」「何をですか?」「やだな~、禿げちゃいそうじゃないですか、リーブ21か、プロピアですよ」・・・いつも思うのだが、木下君に望むのはもう少し、歯に衣を着せるか、あるいは、リスペクトしてくれても何の差支えもない。

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2015年

1月

07日

2008年7月7日

代替燃料

日本航空では、ケロシンの度重なる値上げに対応して、運行の仕方などで燃費の向上を図ってきた。しかしそれだけでは、もうどうにもならない所まで来ているらしい。そこで目を付けた物の一つが、細長いシュレッダーの廃棄紙片である。これまではこの紙片は、再生も出来ず、ただ燃やすだけのものだった。

そんな厄介者を、溶かし特殊酵母を加えるとケロシンに生まれ変わると言う。廃棄紙片1トンで120リットル出来る。原油価格が高止まりすれば、十分採算が取れると言う。それ以外でも、植物の藻や、食べられない植物の実を使っても可能らしい。そう言えば、昔、ゼロ戦は松根油で飛んでいたから、油が絞れれば、どんな植物でも可能な気がする。

「じゃあ、納豆でも出来るんですかね」と挑戦的な物言いで聞くから、「当然出来るでしょう」と答えると。なんだか不服そうにしている。そこで、「但し、関西方面では不評でしょうね」「どうしてです?」「だって、関西の人は納豆が嫌いだからです。排気ガスが匂うのです」と言ってやると「ふ~ん」とうなずいた。

それにしても、木下君は無駄に大食する、おそらく、日本人中上位にランクされるCO2排出者であろう。仮にも会社名に“ECO”を標榜しているから、「明日から来なくていい」と言いたいところなのだが、残念なことに彼はああ見えても大変優秀なのだ。私も大人だからここは、我慢しよう。

一方、月田さんは、真逆のタイプで仕事も出来るがCO2の排出もゼロに近い。そんな訳で、木下君は大嫌いだが、月田さんは好きなのだ。でも、今日もまた、いつもの席で3人揃ってジョッキを傾けている。

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2015年

1月

07日

2008年7月6日

信号機

ユニクロのコマーシャルに、女優:吹石一恵さんが起用された。ご覧になった方も多いと思う。ブラツキTシャツだったが、後姿であらわれおもむろにシャツをきて振り向くと言ったシチュエーションのやつだ。そしてわが木下君が言う。「何で後ろ向きに出てくるか分りますか?」と聞く、「だって前向きだと、ちちが見えちゃうからでしょう?」と言えば、いかにもバカにしたように「なーんだ、知らないんだ」と言う。

そを言った業界には詳しくないので、つい「どーしてなの?」と聞くと「あの女優さん実は胸毛がフサフサあるんです!」「エーッ!」と驚く私。あの清楚な感じがとても素敵と思っていたのに、大いにショックを受けるが、木下君の言うことだから、眉を湿らせてから聞いたほうが良い。

前にも、「上戸 彩は、総入れ歯で、眉毛もない」と私を騙した前科がある。だから、このネタもガセに違いない。時々こんなウソをつくが、仕事ぶりはプロなので許してしまうのである。但し、「うそつきは泥棒の始まり」とも言うから、注意だけはしておこう。そんな、私も良くウソをつくから、自分にとっても自戒の言葉としよう。

それはともかく、どんな凄い美人でも、胸毛がフサフサだといやなように(好きな人もいるかもしれない、いたら御免)、交通信号機を守らない人はもっと嫌だ。何故なら、一番身近でどんな人でも、接しなければならない法律だからだ。特に子供の前では身をもって示してほしい。

ときに信号が赤なのに子ずれで渡る人を見る、私の眼には最悪の出来事に映る。その子が親になったらきっと同じことをするに違いなく、悪い循環になってしまう、残念なことだ。

今日も目の前で信号無視をする人を見てしまった、些細な出来事と見過ごすことができないでいる。こんなことも守れなくて、世の中が悪いとは言えまい。

ところで、吹石さんの事で、木下君を、問い詰めたら「嘘です」と白状した。ほっとする私。

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2015年

1月

07日

2008年7月4日

メガネ

昔は、小顔の部類に入っていた。だから、自分としては目と目の間なんかも離れていたはずである。それがひょんなことから、認識の違いに気がついた。メガネを作りに行ったとき、厭でも鏡に写して形を選ぶ、その時、よくよく観察して見ると、造作そのものが中央に集中しており、昔の面影はない。多分そう言う成長の仕方だったのだろうから、文句を言ってもいたしかたあるまい。

ところで、最近の流行は小型化したフレームにあるらしく、並んでいるものも多い。云わずと知れているが、流行に大変敏感であるから、どうしても、流行りものから選ぶことになる。数種類を選び、かけてみると、両側のガラス部分が多く残り、いかにもバランスが悪い。にもかかわらず、どーしても売りたいと思っている店員は「どーして、どーして良く似合っていますよ~」と、歯の浮くようなお世辞を言う。

見え透いてはいるものの、その言葉にはめっぽう弱い。ついつい「そうーかー」などとうなずいたりして、購入してしまうのである。つまり、その気になってしまうといった、老人特有の心理であろうか?似たケースに、老人家庭のリハウスを過剰に施す業者がいたりする。

とにかく、物の良し悪しの判断が出来る筈のない心弱い老人は、悪徳店員の言うがママ、茄子がパパと言った状態の陥ってしまうのである。そう言った訳で、最近の私を見ると、小型フレームのメガネをかけて、あたりを歩行しているが、心ある人々は、実に似合わないメガネをかけている私を見かけても「アッ、眼鏡変えたんだ、でもどーして目玉を中心に寄せているの」とか、「なんだか顔がデカイ」などと言わないでほしい。

もし、どうしても言いたくなってしまったら、是非木下君に言ってほしい。彼なら、どのように罵ってもかまわない。それは、彼の目玉を見ればすぐに納得できるだろう。瞳が見えないくらい細い、さらには幅も無い。旧式のメガネをかけているから、いかにもレンズの無駄が多いと言わざるおえない。ECOの時代にはいかがなものか。

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1月

07日

2008年7月3日

江戸の粋筋では、「雲」と言えば「ウンコ」のことで、「空雲」と言えば「オナラ」を指す。何故かそを言う。

ある日、車で出張の帰り道、言っちゃあ何だが、この私恥ずかしながら、突然お腹が痛くなった。つまり、「ウンコ」をしたくなったのです。そこで同行者の木下君にたのんで、「どこかトイレに寄ってください 」と、心からお願いした。

木下君は別に意地が悪いわけでもないし、人柄も申し分ない。惜しむらくは、自分以外には気を使わないタイプなのだ。例えば、私が一枚の映画無料チケットを持っていたとしよう、そこで、木下君に「映画に行こうか?」と誘えば、チケットを「パッ」と取り上げ「あの~私の分はあるんだけれど、後どうします?」と言う、そう言う奴だ。

まあそれはともかく、すぐにでも出てしまう危険に迫られて、「イライラ」している私が隣にいるのに、やれ、「ここは暗くてヤバい」だのなんだの言っては、あっちだこっちだと、走り回っている。必要以上に我慢強い私だから、コーモンの0.8センチ手前で止めることが出来る。所謂、「寸止め」と言われている、達人技を出しているから、まだ大事に至らないのである。

ただし、こんな状態のときは、どんなに面白いことがあっても、決して笑ってはならない。でないと、出ちゃうからだ。ここで、「いち」「にい」「サァ~ン!」なんて馬鹿になられたらもうお終いである。そう言った訳で、物凄く厳めしい顔のまま、頑張っていると、木下君の運転する車はめでたく、トイレにつく。

当たり前だが、ベルトは外し、チャックも半開き(全部下ろすと転んでしまう)で、駆け込む。安心感とともに「ダップン」を終了。おもむろに、出ると、両隣も入っている。「シマッタ」不愉快音を聞かれてしまったのだ。「可哀想な私」などと、甘い感傷におぼれている訳にはいかない、いち早く、この場を立ち去るべきである。

この際だから、手なんか洗っている暇はない。でも、流石に手に不潔感が漂い、やな感じがしたので、待つている木下君のスーツでゴシゴシふいた。「アッ、きったね~」というが、こう言った、美しくない日本語を使う人は無視しても良い。いわゆる、「しかと」である。

今後は、充分注意せねばなるまい。これが人気タレントの行為だったら確実に人気は落ちてしまうのだろう。そうじゃなくって、良かった、良かった。(お食事時に読んでしまった方には・・・ごめんなさい)

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1月

07日

2008年6月30日

テントウムシ・Ⅱ

大きく育ちきった「テントウムシ」は、食べ過ぎによるのが原因で、所謂、「メタボリック・テントウムシ」に変化したのである。「メタボテントウ」は浮力と重力のバランスが崩れ、熊蜂と違い、飛ぶこともできなくなる。(熊蜂は物理学的には飛べないとされている)

そう言った訳で、「メタボテントウ」は地道な行動を取らねばならず、茎を登り捕食することになるのだが、餌のアブラムシやハダニたちもなんの抵抗もなしに食されてしまうのは無念なのだろう、上へ、上へ、あるいは先端へと逃げる。先端はいやがうえにも、細い枝葉になり、巨大化した「テントウムシ」は、しなりきった枝葉からボトリと落下する。

背中を下にして落下したものは、亀のように体勢を戻すことが出来ないから、手足をばたつかせるが、日ごろの運動不足がたたり、その為、過労死してしまう。逆に、落ちると手足を複雑骨折して動けなくなり、命を失うことになる。

だから、自然と10cm以下のものに淘汰されていく。また、彼等の中で特に飛翔力が優れた「テントウムシ」は、「超飛びテントウ」と呼ばれ、仲間内ではエリートと言われることになる。そうなれば、それなりにプレッシャーを受け、維持のために飛翔練習を増やす。

そして、更に優れていることを周囲に示す必要が生じる。こうした「エリートテントウ」の発生はまさに、人間社会の縮図のようである。人間は、こういった競争の敗者が、秋葉原などに出かけ、騒ぎを起こし、自らの命を、仲間の犠牲に置き換えたりする。「テントウムシ」は、もともと純粋だから、他の死に頼ることなく、象に墓場がある様に、「テントウムシ」の墓場に出かけて行く、このとき、子供が付き添うと言い伝えられているが、今村正平監督がメガホンをとった「楢山節考」とあまりにも極似していると言うことで、“そりゃーア、違うだろ”との意見もあるがどうだろう。

こうして、大きすぎる「メタボテントウ」は、滅び、一応、農水省もほっと胸をなでおろしたのである。しかし、「テントウの墓場」はだれにも発見されていない。

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1月

07日

2008年6月28日

鎌倉八幡宮の薪能が催されるのが、10月8,9日だから、この頃が「ウナギ」の旬である。近年は、夏場の土用の丑の日(今年は7月24日から8月4日まで)に「ウナギ」を食べる、と言うのが慣例になっている。

この風習は、江戸時代にさかのぼる。夏場あるいは冬には、あまり食べられていなかったらしい。ところで、時代小説にも「ウナギ」が登場する場面は多く、「鬼平犯科帳」での長谷川平蔵」や、「剣客商売」の秋山小平なども食している。いずれも食通で知られる故:池波正太郎の作品である。さらに、近頃人気急上昇の直木賞作家:山本一力作品「草笛の音次郎」でも、主役の音次郎が「ウナギ」を食べると、精力が付きすぎる。

しかし、独身の彼は吉原等の花街に繰り込まなければならなくなる。彼、随分と良い男ぶりなので、普通、嫌がられる「つづけ」(2回以上行うこと)をするわけであるが、つれあいの女郎には、喜ばれこそすれ、嫌がられることはなかった。と、書かれている。このあたり、鰯の頭でさえ発情してしまう、木下君にも同様な傾向がみられるが、本日のメーンではないので、詳細は書かない。

そう言った訳で、江戸庶民の「元気の素」として食べられていた様である。当時の本場とされるのは、神田川、隅田川その支流の小名木川、深川、築地などで、漁獲量も多かったらしい。従って、価格も比較的安かった。その「ウナギ」を使って商売していた訳だ。所謂、「ウナギ屋」は沢山有り、名店ランキングも発表されている。大関を筆頭に順次205店が並び競っていた。ランク外にも、100店以上有ったので、江戸100万都市に300店ほどの「ウナギ屋」が犇めいていた訳だが、店の多くは屋台商売だった。

ところで、その「ウナギ」脂っこいと言う理由で夏の売り上げは、さっぱりであった。(注、鰻の産卵時期が7~8月だから産卵前の脂が乗りすぎた時期のため)この商いが薄い時期にも「ウナギ」をたべてもらおうと、平賀源内の考え出した「土用の丑の日にウナギを食べると暑気あたりしない」のキャッチコピーで300店が一気に売り出した。

江戸前「ウナギ」の調理方法で特に違うのは、「蒸し」が入るところだろう。これで余分な脂が落ち、やわらかく夏場むきになる。これを多く江戸庶民が食べて暑さを乗り切っていたのだろう。

こんな「ウナギ屋」の陰毛・・・いや、陰謀がまるでチョコレート屋のバレンタインデーが定着したのと同じように、流行したのであろう。こうみると、今も昔もさほど人の心は変わらないようだ。今また、寒の土用の丑の日にも「ウナギ」をと宣伝している。

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1月

07日

2008年6月20日

禁煙

タバコが1000円ぐらいになるかもしれない。結構なことだ、それが、税収につながるかどうかは分からない。厚労省では、タバコの害を訴え、禁煙を勧めているから、1000円のタバコを吸わない人が増えてくれれば、それで一つの目的は達せられる。たとえ税収が減ったとしても、なんら差支えが無い。税収うんぬんでタバコ税を語ってほしくない。

そんなことなら、この際だから、お酒の税もすっぱり増やしてほしい。出来得ればアンタッチャブル時代のように、禁酒法を制定するのだ。何故そうしてほしいかと言えば、何を隠そう、私はお酒の造り方を知っている。往時のアルカポネにならって、密造酒を大々的に造り、大儲けする訳だ。

但し、国にも半分の分け前は渡す。国と癒着する訳だ。それで急激にお金を持つことになった、所謂、成金である。そうやって、ある意味成功すると、それを妬む人やすり寄ってくる者もいる。そう言う人々の中には、ついつい、私の自慢をしたりする。生活自体も派手になり、警察にも目をつけられ、エリオット・ネス のように正義を振りかざす、警官に追い詰められ、最期を迎えるのだ。

これで、太く短く生きたことになる。65歳を過ぎそうだから、そんな願いはあっても良いのかも、と言ったら、36歳になる長女は言った。「お父さん、そんな自分勝手な考え方は良くないと思います!」と、自省を促した。

流石、自慢の娘である。こんなことがスーっと言えるのも、私の育て方が間違っていなかったことを示しているのだ。いろんな悪事を考え付く私では有るが、これからも、貫きとうそう。長女もあんなことを言っているが私をリスペクトしているのは間違いない。

天下りを生業としている人々よりは、よほど性質は良い・・・と思う。

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1月

07日

2008年6月26日

テントウムシ

今でも多いのだろうか?あの「テントウムシのサンバ」で無理やりキスさせる、結婚披露宴は、昔はそれ一色だった。大方が、新婦側の友人一同が歌う訳だ。歌の性質上男子が歌っているのを見たことが無い。

そのかわいらしい「テントウムシ」が、今や、ハウス栽培農家にとって、とても大切な虫になっている。それと言うのも、有機栽培にとって、一番大変なのは植物に大敵の「アブラムシ」や「ハダニ」が大量発生するからだ。薬品による駆除はできない。

そこで、考え出されたのが「アブラムシ」や「ハダニ」を食料とする「テントウムシ」をハウス内に放し、大成功をおさめた。食料が豊富だから繁殖も盛んで、他の農家に分けたりしている。ハウス内に放つのは、「ナナツホシテントウ」で、勿論、最初は自然の中から採取してきた。幼虫、成虫とも強い物理的刺激を受けると「死んだふり」をするから、すぐに捕まえることが出来るが、その際、関節部から黄色い液体を分泌する。強い異臭と苦みがあるので注意してほしい。

そして今では、多くの農家で実施している。今のところ数例では有るが「テントウムシ」の弊害も報告されている。それをよく観察して見ると、共通しているのは、「アブラムシ」、「ハダニ」の発生が異常に多い所に限定されているのだ。

その弊害と言うのは、普通、「ナナホシテントウ」は、1cm程度の大きさなのだが、餌の食べ放題で、巨大化し10cmにもなってしまったのだ。もともと、甲冑虫と言われる仲間なので硬い。それがハウス内を飛び回るから、危なくてしかたない。当たればただのけがでは済まない。だから、農作業をする人は、剣道の面と胴衣を欠かせないと言う。

あまり売れるものではないので、一部の地域では品不足に陥り、高騰しているらしい。そこで調べてみると「テントウムシ」の瞳が、瞼の肥大化により垂れ下り、半眼状態になり前方が見にくい、と言ったところらしい。

そんな状態で飛び回れば、どうしても作業者に強くぶつかってしまうのは、当たり前の話である。農水省も苦慮しているらしい。ところで、「テントウムシ」の和名は、太陽に向かって飛んでゆくことから、太陽神の天道からとられたのである。

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1月

07日

2008年6月25日

黄門

TBS月曜日ゴールデンに放送される番組「水戸黄門」がある。再放送は月曜日から金曜日まで、現在は佐野浅夫主演のシリーズが放映されている。会社の休憩時間と重なるので、いつもTVのスイッチが入っていて、始まると、すぐに木下君「あッ、目と肛門だ」とずいぶん失礼で恥ずかしい事を云う。月田さんは、思わず目を伏せる。木下君は私の目をじっと見るがゼッタイ無視する。

所謂、長寿番組である。1964年月形龍之介主演(61回)、東野英次郎(381回)、西村 晃(283回)、佐野浅夫(246回)、

石坂浩二(50回)、里見浩太郎(182回)だから、すでに、1200回を超えている。映画では、1910年9月に尾上松之助主演でシリーズ化され1921年までに12作品作られている。また、コマーシャルでは「水戸は水戸でも水戸証券」がとても有名である。

時は元禄、5代将軍徳川綱吉の治世、藩主を隠居して黄門(中納言の唐名)となった光圀では有るが「大日本史」の編纂のため家臣や儒学者らを日本中に派遣したと言われているが、彼自身が旅をしたと言う史実はない。ただし、名君との誉れが高く亡くなった時には「天下が下二つの宝尽きはてぬ、佐渡の金山、水戸の黄門」と言う狂歌が流行った。名君としての評判や、幕末における、水戸学の浸透が後の物語の形成に影響を残しているとも思われる。

それにしても、全米でも放送されたが、権威主義とのことで人気は、全く出なかったらしい。彼らにしてみれば、印籠の紋どころに頭を下げるのは、不思議なことなのだろう。それは、封建主義を経験していないから仕方無い。従って、理解されることはないのだろう。

ところで、黄門さまは、日本で初めて「ラーメン」を食したりして、誠に好奇心の強い殿様だったようだ。木下君にもこのように正しい好奇心があってくれれば、我社の未来は非常に明るい・・・と思う。

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07日

2008年6月24日

カクテル

「マルガリータ」と言うカクテルがある。 バーに行くと木下君は、いつもたのむ。スノースタイルだから、カクテルグラスが少量のソルトで縁どられている。ウオッカベース(40ml)に、ホワイトキュラソー(5ml)、レモンジュース(15ml)でシェイクすれば出来上がる。云っちゃあ悪いが、彼には似合わない。但し、気持ちよく飲んでいるから、口に出して言えないのが誠に心苦しい。

さらに、もう一つ好きなカクテルがある。「セックス・オン・ザ・ビーチ」と言い、かって、トム・クルーズ主演の「カクテル」でメジャーになったものだが、どこが好きなの?と聞けば“いやなに、セックスって入っているからですよ”と言う、聞くだけ損をする。

月田さんは、「ブース・カフェ」を飲む。少し、技術が要るので、時間もかかるが、出来上がると飲んでしまうのが惜しくなる。グレナデンシロップ、クレームドバイオレット、ペパーミントリキュール、イエローシャルトリューズ、ブランデー、各10mlを層状についでゆくのである。彼女なら、木下君と違って、何を飲んでも良く似合う。

イアン・フレミング原作の「007シリーズ」主役ジェームス・ボンドが、愛飲する「マティ二」を私も飲む。ジン(50ml)、ドライベルモット(10ml)、オリーブ1粒、レモンピールで、カクテル最大傑作、カクテルの帝王と呼ばれている。バーの片隅でしんみり飲むのが良いが、そんなことは全く無い。また、カクテルにはならないかもしれないが、「マンハッタンの夕暮れ」も好きで飲む。これは実に簡単で、オールドファッションドグラスに氷と水を7割方入れ、上から静々とブランデー(ウイスキー)を注ぐと、まるで夕焼けのように見えるところから、名ずけられた。モチロン、夕焼け部分をいただく訳だ。

ところで、「マルガリータ」は、作り出したバーテンダーの恋人の名前で、ある事件に巻き込まれ流れ弾に当たり、死んでしまった。もっと大事にすればよかった、失ってみて初めて、自分の中に存在する恋人の大きさに愕然とし、カクテルにその名をつけ、後悔の念を刻み込んだ酒である。やはり木下君にはまったく似合わない。

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1月

07日

2008年6月21日

味覚

世の中、さまざまな食べ物がある。そして食べ方もある。

例えば、「さしみ」などは、濃いめの醤油に「ワサビ」を溶いて食べるのが、ごく一般的で、ちょいと「通」になると、「さしみ」に少し乗せ、醤油をそっとつけ食べる。流石に、「さしみ」あるいは「ワサビ」を別々に食べている人はいないので、おおよそ、この二通りと思ってよいようだ。そして、どちらでも良い訳だ。それはさておき、今日は、「柿ピー」の食べ方について、述べていきたい。

通常、「柿ピー」とは、柿の種とピーナッツが混合されたものをいう。メーカーによって、製法や混合比率が違う。おおむね、3:1である。ここで、1番美味しいと言われている「柿ピー」を紹介して見よう。

米は越後の「こがねもち」100%、これをふっくら蒸かしたものを杵でつき、冷やしてから切り、熟成及び乾燥、手焼きで、丁重に回し焼く。さらには地元長岡の山崎醤油を絡めれば、これが究極の柿の種。千葉県産の半立ピーナッツという国産高級ブランドにバターをからめたものが一番とされている。この二つを混ぜれば、天下一の「柿ピー」が出来上がる。

ところで、半立ピーナッツとは一株が大きく、広がってから立ち上がる特性がある。その姿から命名された。木下君に言わせれば「半立」がいやらしいと言うが無視していこう。一般的に、昆合比やピーナッツにバターあるいは塩、何もつけないタイプがあり、メーカーによって違うので、それぞれ好みの商品を求めれば良い。

メーカー品はどれもバランスがとれており、努力の跡が見られる。そんなところから、トーゼン「柿ピー」の正しい食べ方というのも生まれてくる。まず、袋詰めになった「柿ピー」の柿の種とピーナッツの量に注目、両者の割合通りに食べて終わればそれがベストである。

ある日、木下君と「柿ピー」を食べる機会があった。このときは、柿の種が大粒タイプで比率2:1になっつていた。重さの比率なので実際に食べるときは柿の種3個に対して、ピーナッツ1個がおいしい。その割合で食べていると、木下君はアットランダムに、つまり、セオリーをまったく無視して、「バタピー」ばかり食べたり、柿の種ばかりだったりしている。見ていて実に不愉快である。

高齢者はセオリーに厳しい。だから、“木下君やっぱり3:1で食べたほうがおいしいよ”と口に出す。“エーッ そんなの自由ジャン、「柿ピー」の食べ方まで注意されたんじゃあたまんないなー”とふくれる。まァ、ほんとに自由なのである。だが、私の心は実に狭い、その狭さは満員電車内の人との隙間程度、無いと言ったほうが正しい。従って、バタピーばかり食べて、柿の種が残ってしまうのが許せないのだ。いずれ私が、4:1とか5:1で食べなければならず、バランスが悪くおいしくもない。だから、木下君には厳重に注意するのだ。

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2008年6月18日

家族

長男は私で、父がイギリスはロンドンの大きな時計台(たぶんビッグベン)にくくり付けられていたのを、縄をほどき連れ帰ったと言う。

したがって、今もってなおイギリス人としての正しい生き方を貫いている。それにしては、瞳も青くないし、髪も真っ黒だ(現在は真白)どう見ても日本人にしか見えない。母国語の英語すら喋れない、ただし、日本語は片言ながら会話程度なら話すことが出来る。どー言う訳か日本国籍を取得している。

二男 は、横須賀市上町寿徳庵まえの橋の欄干に、頭を挟まれていたところを、通りかかった母が「アラ、かわいそう」と助け出し家族の一員に加えたそうだ。お兄ちゃんになりたくない、と、訳の解らない理由で私は反対したそうである。そーいえば、二男は鉢が大きく、いかにもどこかに挟まれそうな頭部形状である。

三男は、母が宇東川で洗濯中、上流から大きな玉ねぎが、どんぶらこっこ、どんぶらこ、と流れてきた。転がしながら家に持ち帰り、スパッと割ってみると、中から、みっともない子供が「おぎゃ」と出てきた。桃から生まれてくるならば、なんとなく解るが、玉ねぎにどうやって入ったものか疑問が残る。そのせいで、三男は中身が無いと言われて久しい、皮ばかりだからだろう。母は転がしたのがいけなかったと語ったが、それでも60歳になってしまった。

ある日、宇東川にかかる名もない橋の下に、怪しい風呂敷づつみと共に打ち捨てられていたのが、何を隠そう四男である。涙が出るほどかわいそうに思った父母は、何のためらいもなく拾い上げたと聞く。兄弟の中で一番みじめな生い立ちではある。気の毒だ。

こうして、我家族が構成された訳だ。考えてみれば、熊本出身の父と大阪岸和田出身の母にしても、あきらかに血のつながりも無いのも事実に違いない。今となっては、頼みの父母も亡くなり中心は三男と私になった、兄弟も良く集まるが、理由あって、たまにしか来ない者もいる。子供のころは、随分貧乏をしたが、周り中が貧乏だったので卑屈になることもなく楽しく暮らしていた。そんなことだからどういった家族構成であっても、成立するのである。一人は一番良くない、三男と私は娘がそれぞれ独立したので、残念ながら、今二人家族をしている。

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2008年6月17日

刑事

つい先日、TVに浅香 唯がゲストに出ていた。どうして年を取らないのだろう。タイプではないので「ドキリ」ともしないが、相も変わらずかわいーい。まァ、浅香 唯と言えば「スケバンデカ」3代目(役名:風間 唯)で売った。ちょっと前を代表する、アイドルはこの役をやっている。

そして、「およよ」と言えば桂 三枝で、「あやや」と言えば松浦亜弥のことである。「何の因果かマッポの手先・・・」と痛快な啖呵を切り、桜代紋入りヨーヨーを武器に犯人を逮捕する物語だ。原作は和田慎二、主役の麻宮サキに扮した。「スケバンデカ」4代目である。 ちなみに、初代は斉藤由貴、2代目南野陽子(役名:五代陽子)であった。随分売れた桜塚ヤックンは「スケバン恐子」なので、このグループには入らない。

ところで、つまみは「冷奴」と「枝豆」と言えば「生ビール」が出てくる。席は奥の左側、所謂、いつもの場所である。どう言う訳か「乾杯」から始まるが。私はあえて「おめでとう」からだ。そこに何の理由もない。木下君と今日は月田さんも加わる。「ビール飲みに行きましょう!」と良く誘われるが、2度に1度は断る「どーして避けるの」なんてへそを曲げたりする。しかし、彼女はもっと若い人たちと一緒のほうが良いに決まっている。鈴木砂羽似の美人だから引く手数多にちがいない。私たちと飲んでる暇はない。その月田さん、焼酎好き、ロックでダブルグラスをグイとあおる。酒も強い、ときによこすかの「坂戸屋」でも飲むが、ここではほとんど「ホッピー」だ。

横須賀式は、甲種焼酎を170ミリリットルに対して、ホッピー330ミリリットルが目安で氷は入れないのが基本となる。その代りホッピー、焼酎、ジョッキはキンキンに冷やす。ホッピーには「55ホッピー」「ホッピー330」「ブラックホッピー」「黒ホッピー」と種類があるので飲み比べて、自分用を決めても良い。ここでは、3杯が限度でそれ以上は飲ませてもらえない。物足りないから、ハシゴになる。

近くの「中央酒場」か「膳々」へ流れる。これだけ回れば、木下君と私で月田さんを家届ける。たまに、カラオケにも行くが「一人酒場で」を歌って涙する。渡る世間の荒波を乗り越えるのが、つらくなる事もあるのだろう。女のほうが何かと生きにくいのかもしれない。そんな月田さんだが、飲みっぷりは日本一で、ダブルグラスを片手にした姿は、実に男らしい・・・?ここで、彼女を刑事に例えるならば「ぐい飲みデカ」の称号を与えて「スケバンデカ」の向こうを張ろうか。

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2008年6月15日

耳痛

100年たったらしい、私ではない。ヘルベルト・フォン・カラヤンが生まれてからである。オーストリア出身の指揮者で、日本にもファンが多い。かって、ベルリン・フイルハーモニーの常任指揮者も務めて数々の名演奏を披露した。

当時、クラシックは演奏会場で聞くものと思われていた。レコードは単なる記録として扱われていたものを、昇華させ、600タイトルをレコード化し、1億枚を売ったという。ファンの拡大には大いに貢献した。そのカラヤン指揮、ベルリン・フイルハーモニーで、ドボルザーク作曲「新世界」を聞いて大いに感動したものだ。今は、専ら「CD]で聞いている。どうです、たまにはクラシックもいいもんですョ。

ところで、音楽は耳が良くなければ、と言われている。そう、朝起きると、妙に耳が痛い。ミュウジシャンを目指している訳ではないので、それほど影響はないと思われるが、これで結構体を大切に過ごしてきたのだ。それでも、ついに、何か悪い病気にかかってしまったのではないのだろうか。

そうならホント、幸薄い人生だと言わざる得ない。楽しいことは何もなかったのである。はたして、耳の痛くなる病気を考えてみると何があるのだろうか?すぐに思い当たるのは子供の頃患った「中耳炎」だろう。でも違う何故なら耳の外側が痛いのだ。

次に考えられるのは、耳のキャンサーつまり「耳癌」である。過去に、いたわってもらおうとして、周りの人々を騙したことがある。そのとき使用した病名は「キャンサー」が肛門部に発生、所謂、「肛門切れキャンサー」になってしまった、と、嘘泣きしたのだが、誰一人として信用されなかった。

ものすごく苦い経験がある。どうせ、「耳キャンサー」かもしれないと言っても、やれ「オオカミジジイ」だとか言って本気にされない。名前だって「ピーター」じゃないのにである。どうも困ったものである。

そうこうしているうちに、なんだか耳痛も治まってくる。午後も3時を回る頃には、すでに何ともない、そこで、月田さんに耳を見てもらう「あらメガネのツルの跡がありますよ」。アッ、それだったら、思い当たる節がある。昨夜TVをメガネをかけたまま見ていてそのまま寝てしまったのである。だが今更「なんでもありません」とは言えない。

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2008年6月12日

デビュー

機械の最終チェックをしている時に、その出来事はおこった。

細かい部品の組み付け状態を確認していた、木下君、部品に顔を近づけたり離したりしている。時折やや短めの首をかしげしたりしている。見えにくいのかもしれない。私が年中そうしているように「メガネ」を、ヒョイと額に押し上げ、改めて部品を穴のあくほど見つめながら、素っ頓狂な声を上げる。「アレーッ、眼鏡をはずしたほうがよく見えまっせ!」とは言わない。

関西出身ではないからだ。東北の物凄い田舎出身だから、「あんれまあ、眼鏡ばはずすたほうが、よぐめえる!」とナマリ丸出しで言う。いかにも、地方出身者の素直さがそのまま出てくる。そう、木下君は律儀者なのだ。

ことわざで“律儀者の子沢山”とも言うが、そのとうり、彼にはたくさんの子供がいる。それはともかく、木下君、目の前に起こった事実を理解できないでいる、のーたりんのせいだろう。こんな時こそ、幾多の苦渋や辛酸を嘗めつくしてはいるのだが、大半を身につけることなく、あくまでも軽く、トイレの電球のごとき老人である私が、木下君に説明せねばなるまい。「そんな状態のことを、“老た瞳”と言い、世間では「老眼」と言うんだぜ」と、親切そうに教えたのである。

木下君「エッ!」と驚いた。さらに、「若いうち近眼の人が、老眼を発病すると近眼は少し改善されるのだ。そうでない人は、老眼鏡をかけなければ近くの小さい文字は読めない。近眼族は近眼用眼鏡をはずせば、至近から文字を判読できるのです」と、優しく諭す。

これまで、驚くほど長い人生を歩んできたが、至らない者に対して、深い愛情で接する老人を見たことが無い。世間では、こんな私を指して、「異常と言えるほど軽い老人では有るが、人に対しては、神仏をも凌駕してしまう」と、評するが、真に受けたりするところが随分恥ずかしい。まあ、いずれにしても、子沢山の木下君は、とどこうりなく「老眼族」の仲間入りを果たした。お祝いに、ビールでも飲むか。

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1月

07日

2008年6月9日

偽物

豆腐屋で売っている「がんもどき」は「雁もどき」と書き、鳥の雁に食味を似せて作ったものである。生揚げの間に細かく切った野菜や昆布などを挟んだもので、まったり煮つけたり、おでんの種にすると美味である。元来は精進料理に端を発したものらしい。

関西では飛竜頭(ひりょうず)と呼ばれている。もどき品には他に「カニカマ」などがあり外国でも人気があると聞く、特にフランスでの人気が高いのは、味覚の精度が高い両国に相通ずるものがあるのだろう。さらには「かば焼きもどき」と言うのも有り、これは、山芋をすりおろし、塩、醤油、だし汁、片栗粉を少量づつ混ぜ合わせ「海苔」の上に広げ軽く油で揚げたれをつけ、焼け焦げをつけると食味が「ウナギのかば焼き」に似る。

探してみれば、この、「もどき」は数限りなく存在するに違いない。まァ、そう言った訳で、本物に近い、あるいは本物をしのぐ「もどき」さえ現れることもあり、私たちを楽しませてくれる。

ところで、数日前駅に向かって車を走らせていると、駅近くの交差点歩道をゆっくり渡ってゆく人に見覚えがある。木下君かもしれない、今日は何やら妙にいやらしく見える。思わず窓をあけて声掛けそうになった。

最近老齢のためか間違えも多いから、もう一度確かめると、顎のあたりの線が細い、ご存じか、ご存じでないかは、ご存じないが、木下君には、顎周辺に、いかにも怪しい「お肉」が大量に付着している。一般市民にはあれほどの顎をもつ人は、ほとんどいない。従って、そうそう頻繁に歩いてるわけもないから、やはり、木下君ではなく「木下もどき」とでもいったほうが良いのだろうか。それにしても、声をかけずによかった。

よくよく考えてみれば、こんな時間に木下君がそのような場所を歩いている訳が無い。何故なら、「本日は病気なので休みます」ときっちり、連絡があった。しかも、私がとったのだ。ずいぶん怪しい、「お父さん、どこえ行くの?」と子供の声も入ってくる、多分ずる休みであろう。

この私も、たまに休むと「ずる休み」なのでは?と疑われもするが、そんなもの、全く無い。何故ならもって生まれた病気になりやすい体、所謂「腺病質」だから、一寸したことでも病気になってしまうのである。見るからに弱そうだし、今だってのどが痛い。

朝方の声の出方がスムーズではない。そんな訳で、朝早い「歌」の仕事は取らないようにしている。が、そのことで心配する必要はない、つまり「歌手」ではないからだ。ただ単に歌って踊れる老人なのであり、言ってみれば「病人もどき」なのであろうか。そうして「もどき」は所詮「にせもの」なのである。

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1月

07日

2008年6月5日

SWING

音楽の成績は、いかがなものか?と、いった程度であったが、まあ、平たく言えば“2”だった。 しかし、聞くのは滅法好きだ。主に、イージーリスニング系(年齢を隠す目的で“系”を使ってみた)に偏る。クラシックから「美空ひばり」まで幅はある。広く浅くである。40数年前いわゆる社交ダンスが流行していた。パーティーが毎週のように開かれ、随分誘われたものだ。

ジルバはジミーとハリケーンズの「レッドリバーロック」、ブルースではベニー・グッドマン「メモリーズ・オブ・ユー」が特に好きだった。 「キング.オブ・スイング」の異名をもつ、ベニー・グッドマンは「シング・シング・シング」が代表作でもあるが、モーツアルトの「クラリネット協奏曲」は評判がよくレコードにもなっている。

ところで、ベニーは貧しいロシア系ユダヤ移民の家庭で育った。無料で音楽が学べる地元の教室で、10歳からシカゴ音大の元教師フランツシェップの下でクラリネットを習得、天才的な能力を発揮11歳でデビュー、1935年26歳の時、有名ダンスホール、パロマーボールルームで大成功、全米での人気バンドにのし上がった。

1938年29歳の時には「カーネギーホール」で最初のジャズコンサートを開いたことで名声を上げた。 映画「ベニー・グッドマン物語」(1955年公開)がDVDになっているので、主な出演者を、ざっと紹介してみよう、主演は当時テレビ司会者だったスティーブ・アレンがベニー、恋人役のアリスには1953年にアカデミー助演女優賞、「うちのママは世界一」のドナ・リード。

共演ミュージシャンでは、トランペット:ハリー・ジェームス、バイブラホン:ライオネル・ハンプトン、ボーカル:マーサ・ティルトン、と、有名どころが名を連ねている。ファン必見であろう。バンドメンバーには、ドラムスのジーン・クルーバ、ピアノ、テディ・ウイルソン、サックス、スタン・ゲッツなどがいた。

人種差別の激しかった当時、多くの黒人ミュジシャンを雇った最初の人物として、尊敬を集めた。 それはそうと、すでに述べたように音楽的な才能とは、縁もゆかりもない私であるが、1曲だけ作詞作曲しては見た、みっともなくて人にお聞かせできるものではない。

娘たちは、3歳からピアノを習っていて今でも少しは、弾いている。そんなものに、聞かせる訳にはいかない。出来の悪さは一目瞭然で、威厳も尊厳も保てない。それでも、是非、聞かせろと責める、もっと責めると、泣いてしまう。

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07日

2008年5月30日

 無毛

昔、お妾さんが自分の旦那のことを、「うちのハゲ」と呼んだが、この場合、必ずしも本当の「ハゲ」を指してはいなかった。それはともかく、父は「ハゲ」ていた。そのうえ「サザエさん」の父である磯野波平タイプでもあった。但し、頭頂部の2~3本残存する波平氏とは異なりそこは広々とした無毛地帯であった。子供の私から見ても「ハゲ」が似合っていて、素敵だったから、私もトーゼン大人になれば「ハゲ」になると思い、そうなることを望んでいた。

そうこうしているうちに、小学4年生の頃「ハゲ」の数え唄を、学校で覚えた。その歌詞が「ハゲ」をののしる、あるいは、さげすむ言葉であるとの認識はなく、単に言葉の遊びの範囲でしかなかった。従って、家でも外でも歌い、弟たちにも、歌唱指導したりしていた。

とかく、物事覚えたてと言うものは、あたりかまわず、やりたがるのが当り前だのクラッカーで、比近の例で言えば、木下君の如く、セックスを覚えたての状態が、いまだに続いている事を思えば、より良く現象を理解できるであろう。と言った訳で、それが父の耳に入るのは時間の問題で、“お父さんが歌止めなさいって”と母に注意された、父が直接怒ればよいのだが、きっと恥ずかしかったのだろう。

以来歌っていない。父の「ハゲ」を尊敬してやまない、私は、世の中にはそれを苦痛に感じる人もいるのだと理解するとともに、以後「ハゲ」ている人を見ると、ついつい数え唄を思い出して、心中ニヤリとし、一人楽しむといった、歪んだ性格を有することとなった。

しかし「ハゲ」に対する私の思いは、なんら変わることなく、スタイルの一つとして尊重している。そのせいか、「ハゲ」ているご本人を前にしても「ハゲ」の話題に終始して、随分心無い人だ、とのレッテルをはられたりもする。だから、最近は高橋君のそばでは、注意するようにしているが、彼の頭部は父ほどにカッコ良くない。何故なら、父の場合周囲に残存する毛髪に対して何の未練もなく、「スッパリ」落とし、そこが実に男らしい態度であると、確信していたので、高橋君のように、産毛程度の毛髪を大事にする姿には違和感がある。

そうはいっても、どのように扱おうが、個人の自由なので、あえて意見は差し控えよう。そこで、♬よっつ、横丁にハゲがある♪とあるが、私は好きだ。

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07日

2008年5月26日

 紀行

南米大陸を悠々流れるアマゾン河流域を旅して見たい。動物園でしか見たことのない「大蛇(アナコンダ)」や「クロコダイル」に直接お目にかかりたいからだ。そこで心配なことがある、近くで見るということは、かなりの危険が伴う。

彼等が腹いっぱいで「ルンルン」気分なら良いが、お腹がペコペコな場合は、前後の見境もなく、善人だが食べてもまずいタイプの私でも、あるいは、悪人で栄養満点な木下君でも、平等に食べられてしまう。そう言った危険が伴うからこそ、行ってみたいと思うのだ。さらには、昔、映画で見た「アマゾネス」にも会ってみたい。ヒョウ柄の水着で、筋肉モリモリの美女軍団である。こう言っちゃあ何だが、この私、タイプとは言い難いが、そのような女性もまた、好きなのである。

私見では有るが、木下君なら涙を滝のように流して喜び、思わず襲いかかるに違いない、しかし、日ごろ運動不足のため、「アマゾネス」には逆に圧倒されてしまう。趣味が最低な木下君にとっては、却って其のほうが燃える。そのような危険なら、是が非でも巡り合いたいものだ。

それはともかく、アマゾン流域に旅する時は、大きめの牛や豚を比較的多めに連れて行くことが肝心だろう。何故なら、道中トーゼンの如く「アナコンダ」や「クロコダイル」等が一行を襲うのだ。その時に牛や豚を彼等に供給して、食している間、一目散に走って逃げる。少なくとも我々は、牛や豚より、ダッシュだけは速くなければならない。

こうして艱難辛苦を乗り越え、首尾よく、「アマゾネス」に犯された一行、無事帰国の途に就くのである。だが余りにも身勝手な行動は、国から改善命令が出るに違いなく、このときは、私が嫌々ながらすべての責任をとることになる。名誉なことではない。

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1月

07日

2008年5月25日

 関西弁

お笑いを中心に関西弁が幅を利かせている。別に悪いことだとは思はない。母方に関西の流れをもつ、私には何の違和感も持たない。そこで思うのだが、公用語を全て関西弁にしてはどうだろう。あの「東京タワー」で使用される「オカン」「オトン」や「アホやなァ」の語感は、東京弁では表現できない言い回しでなにやら、「ドキッ」と胸がときめいたりする。

特に京女の話し方は、東男にとって心を和ませる何かがある。私には京都に沢山の従姉妹がいて、京言葉独特の柔らかさを耳にしている。大阪弁については、山崎豊子の小説「のれん」「ぼんち」あるいは「女系家族」を読むと良い。そう言った訳で、大阪弁を男言葉、京言葉を女言葉として、公用語に採用してほしい。さすれば、世の中なんとなく、まったりして物事万事すんなり進むような気がする。

わが木下君にもその恩恵がある。彼は東北の物凄い田舎出身で、方言が消えない。関西弁が標準語となれば出発点は私たちと同じだから、公用語になじむのも同じだろう。ただ心配なのは、木下君出来も悪いし、心も悪い(冗談)。従って、通常人(私自身は通常人と思っているが、少し変かも・・)より多くの時間が必要となるかも知れず、そこが悩ましい。

彼が使用していまだに記憶の残る、方言で「伊豆に伊豆行く」の名方言がある。これなんかは、「伊豆にいつ行かはるのやろ」となり、「伊豆に伊豆・・・」となっても問題はない。「いつ」→「いづ」の発音については、幾多の指摘にもかかわらず、木下君頑固にも治そうとしない。

それはともかく、関西公用語が国民あまたの同意を得られ浸透し、国会でもよろしく承認された場合、関西の文化が優先されることも考えられるが、関東にもそれなりの文化はある。その時は、守らなければなるまい。たとえそれが、「関東のつれしょん」であってもである。

その昔、天下の秀吉と家康だって、小田原北条攻めのおり、城、目がけてやったそうではないか。

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07日

2008年5月23日

 短命

身の回りで、「グチ」を言う人が多い。隣の席の木下君や、山田君が双壁だ。雨になれば、「グチ」り、晴れても、「グチ」る。間で私は心の休まる暇もない。150歳まで生存するのではないか、と言われていても、このままではもつまい。110歳ぐらいまでしか生きられず、短命に終わるに違いない。何しろ、この私65歳だから、ほんの少しの行き違いでも、病気になってしまったり、一瞬でも心が暗くなったりしたら、落命してしまうのだ。そこのところを考慮して、大切に扱はなければならない。分別盛りの二人なのだから、そのくらい、この私の命に対して注意深く見守る、と、言った姿勢が必要である。それが人としての正しい生き方なのだ。

それに引き替え、田中君や月田さんは「グチ」を言わない。どんな迫害にも耐え、男らしくあるいは女らしく、おおらかに生きているのである。見習うべきであろう、おそらくお二人は、育ちが良くご両親に正しく育てていただいたのだろう。ただ、田中君はたまに、

「チンコ」と言ってはニンマリしているが、これも、上品な人が、たまたま覚えた(チンコだけに)下品な言葉をつい使いたくなった、と言ったところだろう。「ウンコ」とも言うが、その時は、漏れ聞いた月田さんも口の端を引きつらせる。きっと喜んでいる。「グチ」の程度は山田君が一番で、彼が「グチ」れば、木下君でさえ、沈黙し聞き役に回る。猛威をふるう「グチ」を振り回す、山田君に対して、次の名前を与えたい「グチラー」 あるいは、「グッチ山田」「G・山田」と。いずれにしても不名誉なことである。

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2008年5月17日

 特急券

立派な前期高齢者である従妹と私は相変わらず一歳違いで、これからも変わらない筈である。幸いなことに、私が上だ。 従妹はどう思ってるか知らないが、私はとても気が合う。話が上手なのだが、なんでも、きっぱり言う。ゼッタイが口癖で時に、思い違いでも信じてしまうと、「ゼッタイそうや」などと言う。更には、間違いも平気で犯すことも判明した。

それは、奈良から京都へ向かうのに近鉄を利用するが、特急を使うと、35分で行ける。ただし、乗車するにはトーゼン特急券が必要となる。4両編成の1号車が喫煙車、他は禁煙車である。

「コウジ、たった35分だから、タバコは我慢しなさい」と同行する従弟のコウジ君に云う。コウジ君もお姉さんの言うことだから

「ええで」と答えていた。だから、安心して見ていると、発券機に向かい「ハジメちゃん(オカマバーのときの・・・くどいか)禁煙席でいいか?」と念を押して聞くから「ハイ」と礼儀正しく答えると、きっちり、「喫煙席」のボタンを押して、2枚手渡される。

買って頂いて、すごく有難くてもったいないのだが、こうもきっぱりと、勘違いされると、何も言うことはない。

そう言った訳で、「喫煙車」の指定座席に乗る。コウジ君は35分の間隣の席で、実に美味しそうに2本のタバコを吸った。

好もしい従妹なんだが、心の著しく狭い私は心にごく小さな傷を負うのである。

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2008年5月15日

 冷奴

50年ぶりに、奈良に旅した。幼馴染の従妹が住んでいるからだ。ご主人は、学校の先生で、言ってみれば職場結婚だという。多分自慢だと思うが、自分が先に職場にいて、御主人が「後から入ってきはった!私のほうが先輩や」と胸を張った。前期高齢者なのにとても元気だ。奈良に住んでるお陰で、鹿のフンをたくさん踏んだからだろう。

それはともかく、いとこは言わはった。

「冷奴、家とこは、ワサビで食べるけど、ハジメちゃん(これは私が、オカマバーに出るときの源氏名・・・嘘です)とこはどうか?」

と聞く、豆腐をワサビで食べるという風習は、少なくとも関東では聞かない。酒は好きだから、つまみに「冷奴」はかかせないが、普通、すりおろし生姜、ねぎ、鰹節、醤油が王道だ。少し変わっても、生姜が和がらしに代わるくらいである。だから 「へーェ」と驚くしかなかった。「ゼッタイおいしわ」と言う。半信半疑では有ったが、話題は他に反れた。

旅行も終え、家に戻ると、早速試してみた。チューブ入りの生ワサビ少々をダシ醤油で溶く、ネギはみじん切り、鰹節もみじん切り、これを絡めて 豆腐 に載せる。絹ごしではさほどでもないが、木綿ではそこそこいける。しかし、やはり「冷奴」には生姜のほうが合うようだ。後日、従妹からありがたいことに、奈良の大吟醸が送られてきた。添え状に「冷奴は、生姜で食べていたことを思い出した、ヤーネ年をとるのは、アッハッハー」と記されている。

私にも、確かに悪いところはある。だが、あまりにも自信たっぷりに言われると、ついつい、信じてしまうし、「ゼッタイ」にと言われればなおさらのことだ。幼いころ一緒に遊んだ、私をそんな風に たぶらかさ ないでほしい。折角の楽しかった美しい思い出が、色あせてしまう。

さらには、「ゼッタイとはもう、ゼッタイに言わへん」と書いてあった。

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2008年5月10日

 ハニーハンター

函館に生まれた、木下君は水泳が得意だった。高校では水泳部に属し、活躍していたと自慢する。今夜も、居酒屋のいつもの席でジョッキ片手に そのころのことを語る。私としては、あまり語られたくもないのだが、この季節になると、どーしても避けて通れない話題なのだ。

今年も、初夏を迎えている、道理でビールがうまい。「海に行くと、魚介類が豊富で何でも獲れるんです」と云った風に語り始める。「函館の頃は、ウニ、ナマコ、アワビ、サザエが獲り放題で、生で食べたり、煮たり焼いたり、思い出すだけで涎が出ます、あの頃はよかったな」とか言うのだ。まるで老人の語り口のようだ。彼はまだ45歳だから、そうやって懐かしがってばかりだと、本当に老けてしまうぞ。

ところで、普通、アワビ、サザエ、ウニ等は漁業組合で養殖事業があり、保護もしている。従って、禁漁になっている筈である。これを無視して捕獲することは、犯罪行為にあたる。木下君に糾すと「そーらしいですね、だけど、そんなこと考えても見ませんでした」、やっぱり確信犯である。明らかな密漁だ。さらに、「伊豆でキャンプすると、必ず潜って捕獲して食べちゃうんですョ」と、反省もない。「木下君それは、明らかな犯罪行為だよ、やめたまえ」と、偉そうに注意すると、「オレが食べる分なんて、ほんの少しだし、いいんじゃないですか」こんな風に、開き直ってしまう木下君であった。そう言えば、彼、タバコはポイ捨てだし、ガムも紙につつまず、紙屑も道に捨てる。所謂、無法者なのだ、だから密漁なんて彼にとってなんでもない行為なのだろう。

だから、私は、木下君が大嫌いなのだ。その割にはいつも居酒屋に一緒にいる、どーしてなんだろー。

いつも、注意はするが一向に改まる気配はない。彼に、公共性は欠如していると、言わざる得ない。何とかして、社会の一員に仲間入りしてもらうために、努力してみよう。そうしないと会社の恥となる。

私は、いよいよ、勉強して木下君の分まで社会に貢献し、清く正しく生きなければならない。 今年、話題になった、浜名湖のアサリ密漁事件で逮捕者が出たが、木下君には関係ない。その頃、彼は九州に出張中であった無実である。それにしても、密猟は英語で「ハニーハンター」でよいのだろうか?

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2008年5月8日

 木下君と私

とりあえず、洒落を一つ。 北岳に登った人に一言 「よい天気でしたね、登頂された感想は?」 

「はァ、キタダケ」

まァ、それはともかく、北岳は、赤石山脈の北に位置し、山梨県西部日峰山の一峰で富士山の次に高く、標高 3194メートル である。 この山は高山植物の宝庫で、山の名を冠にした植物も多い 、例をあげれば「キタダケナズナ」「キタダケソウ」「キタダケキンポウゲ」などがある。見どころの多い山なのに、あまり有名にならない、不思議なことだ。

さて、話は変わるが、つい先だって、会社帰りの居酒屋でビール片手に、木下君が無造作に「この頃呆けていませんか?」と聞く。

何と失礼な問いかけであろうか、確かに、この私、恥ずかしながら65歳で決して若いとは言えない。トーゼンのことながら、彼の大好きなエッチにしても、もはや、割り箸か何かの介添えが必要なタイプになっている。残念なことだが仕方無い。

だって、木下君のエッチ好きは周知の事実だから、土台比較すること自体間違っている。ところで、木下君と私は20歳の年齢差がある。モチロン、私が年上である。だがしかし、あと30年もすれば、彼が、75歳で私が95歳立派な後期高齢者である。こうなれば,きっと上下関係は分からなくなる。その上、私の家系はなぜか長寿系だし、健康を維持するために厭うことなく、体を動かし、ストレスは木下君たちに思い切りぶつけて霧散する。そうして、日々楽しく生きて行くのである。これでは嫌でも長生きしてしまうに違いない。

一説には、150歳まで生き抜くとの噂はあるが、あくまでも噂にすぎない。それにひきかえ、木下君、健康を気遣うことなく、運動もせず、酒、タバコ、あるいは、エッチに明け暮れている。これにギャンブルが加われば、完全な遊び人である。(普通遊び人はこのような日々を送っている)さらに、不純物の混入した食物、あるいは、例の餃子なんかも、平気で食するから、加齢を促進する。おそらく、しわくちゃジジイになるのだろう。

だが、それでも、雑草のようにそれらを跳ねのけ、「憎まれっ子世にはばかる」の例えどうり、溌剌と生きることも考えられる。だだし、過剰なエッチがたたり呆けは早いはずだ。木下君妻とは上手くいってないというから、面倒は見てやろう。これが浮世の義理と言うものだ。ただ、居酒屋ではこの種の話は止そう、酒がまずくなる。

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2008年4月29日

三宅島

先日、航空便が再開された。9年前の噴火で全島避難を余儀なくされた三宅島のことである。30年ほど前、この島に「尾長」や「カンパチ」を求めて、毎週のように通い詰めていたことを思い出す。「沖山」と言う釣り宿に厄介になっていた。そこを足場に、「鯛房」や「湯ノ浜」の磯に乗り、そのころ開発された“オキアミ”の効果で、数多くの釣果をものにしていた。今は昔である。

この島は、別名「バードアイランド」といわれる鳥の楽園であった、蛇のいないことが大きな理由でもある。300種類もの鳥の頂点に君臨していたのは、「黒頭ワシ」と呼ばれる鳥で、頭頂部に黒い帽子をかぶった様に見えるところから、の命名で、アメリカの国鳥「白頭ワシ」と対極を為すものと考えれば良い。噴火による絶滅が心配されているが。ただ心無い一部の島民は、この際だから「是非、絶滅してほしい!」といった声もある。

それというのも、この「黒頭ワシ」何しろデカイ、翼を広げると、成鳥で 30メートルを超え世界一なのである。主食は、豊富にとれる魚で、それはそれは長ーい嘴を利用して海中から捕食する。上空から狙い定めて海中につっ込み 魚を捕るのだ。1日の食料は30キロとも40キロとも言われている。骨ごと食べているので、その排泄物いや・・・・・お食事中の方にはまことに失礼ながらお許しを願って・・・・・つまり「ウンコ」なのだが、上空から所かまわず落下させる。この「ウンコ」は、いわゆる、巻きぐそタイプで、そのままの形で落ちてくる。1年に数十人の単位で被害者が出るが、観光で訪れた人に集中している。島民の被害は、車を運転している時に多い。体がデカイから落とす「ウンコ」も、トーゼン、デカくフロントガラスに落とされると、急に目の前が真っ暗になり、電柱に衝突したり、落ちてきた目前の「ウンコ」を避けきれず、車が横倒しになってしまう事故が年数回見られるという。

また、停車中に車の屋根に落とされ、へこんだり、ボンネット上のものは出来るだけ早く処理しないと、すぐに固まる。前が見えず運転できない。「黒頭ワシ」の「ウンコ」がすぐ固まるのは、東名大学名誉教授「茶水博士」によれば、「あー長年の観察と研究の結果、魚の骨に含まれる高カルシウムと海水中のテトロアミル銀酸が化学反応を起こすからかもしれない・・・」と語っつているが信用はできない。そう言った訳で、島にある車のほとんどは、屋根がへこんでいるか、あるいは、固形化した「ウンコ」を積んだままにしている。三宅島を訪れた人ならだれでも知っている事実なのだ。

ところで、何故、島民が歩いていて被害にあわないのかと言えば、彼等は上空を注意して歩く習慣が遺伝子に組み込まれていて、子供から老人までそうしいる。だから「黒頭ワシ」が近ずくと、彼等はワシのコウモン付近を注視し「クニュクニュ」させると、一斉に逃げる。この、「クニュクニュ」が「ウンコ」の前触れなのである。

嘘っぽい話ではある、私がどれほど熱く語ろうが誰も信じてくれない。それほど信用されていないのだ「茶水博士」といい勝負なんだろう。

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2008年4月24日

旅鴉

過日、市川 昆監督が亡くなった。 残念なことだ、想い出に残る作品は「犬神家の一族」、「東京オリンピック」がある。特に「東京オリンピック」は心の中に鮮やかな影を残している。冒頭のシーンで、古いビルを大きな鉄球が打ち壊してゆく・・・、建設されてゆく町並。競技はスローモーションを多用して、選手の筋肉の躍動を魅せて、それまでのオリンピック記録映画とは一線を画すものだった。

その、市川 昆監督が手掛けたTVドラマに「木枯紋次郎」がある。1972年1月1日「川留の水は濁った」から始まり、1973年3月31日「上州新田郡三日月村」までの38作で人気があった。若い人たちには馴染みは薄いだろうが、私たちにはとても恰好の好い

「アウトロー」だった。流行語にもなった“あっしには、かかわりのねえこっつてござんす”と言うものだが、その割には、色々な出来事

かかわってしまう。尤も、そうじゃなければ、ドラマも生まれようがない。 原作は 故 笹沢佐保さんで主役に中村敦夫が抜擢され,

主題歌は上条恒彦が歌う。超望遠レンズで峠を歩いてくる米粒ほどの紋次郎を捉え、ズームアップしてゆく、被さる様に 

♪♬ど~こかで~だ~れかが~・・・♬と、力強い歌声が流れ、それ以前の時代劇とは一風変わっている。薄汚れた道中合羽に三度笠(飛脚が日本橋~京都間を月に三度往復した事から彼らの使用していた笠を三度笠と言い旅鴉も利用していた)に馬鹿長い爪楊枝をくわえた紋次郎の姿は、泥臭い立ち回りと相まって、実に男らしく描かれていた。

でもね、そんな紋次郎は“オカマ”だったのです。どうです、実に衝撃的なことでしょう?

それと言うのも、紋次郎流れ流れてゆく道中、ふとしたことからかかわった、やくざ同士のけんかに巻き込まれ、足を切られ谷底へ

・・・気絶している紋次郎を助けたのが吾作じーさんだつたのです。じーさんには、18才になる孫娘“はる”がいて、紋次郎を家に連れ帰り娘ともども懸命に看護する。吾作と言えば当然百姓で、そのころ米は貴重品であった。自分たちは稗や粟を食べ、紋次郎には米を食べさせたのである。しかし、米も古く“虫”も湧いていたが、その好意に紋次郎、黙っていただく。そしてある日、まだ傷いえぬ

紋次郎、ホモを趣味とする吾作に、たやすく犯されてしまったのです。足に傷を負っている、うえに、コーモンにまで損傷を受けたのでした。この日から、紋次郎男にも女にも興味を示す、言ってみれば、宮本武蔵もビックリな両刀使いに大きく変身したのです。

“はる”の献身的な手厚い看病で、回復した紋次郎は、何を思ったか“はる”を犯してしまい「アッハッハアーこれもまた親子丼つーんですか?」と言ったとか、言わなかったとか・・・。申し訳ないような結末で恐縮です。

最近TVで時代劇が少なくなっていますが、どうか面白い作品をお願いいたします。ちなみに、ここに登場する“はる”は、スタンリー。キューブリックの「2001宇宙の旅」の“ハル”とは従妹でも、兄弟でもありません。蛇足ながら。

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2008年4月19日

 怪談

♪…静かな尾瀬野の小道・・・♪ と歌うのは、“夏の想いで”の一節だ。今から、もう少し暑くなれば、“ゆうれい”の季節でもある。 “ゆうれい”も冬の間は、クローゼットの中で夏物衣料にはさまれて窮屈につり下がって、出番を待っている。 常人には見えないだけで、各々の家には新旧に拘わらず幾人かの“ゆうれい”が住んでいるものだ。勿論、我が家にも2人はいる。

それはともかく、“ゆうれい”と言って思い浮かぶのは、パトリック・ラフカディオ・ハーン、日本名:小泉八雲である。彼は、ギリシャのレフカダ島生まれ、父はイギリス軍軍医、母はギリシャ人であったが、両親を早く亡くし19歳でアメリカへさらに1890年に日本へ、島根県松江の中学校英語教師を経て東大教授、この時代に「怪談」を発表、のちに早大に招かれた。

彼の作品のうち、特に、「耳なし芳一」が耳に残る。耳の話だけに、耳に残ると言うのは、我ながら出来のいいシャレである。

 あれは、小学6年の時、担任であった先生が、「林間学校」で“度胸試し”の前に話していただいたと記憶している。頭が悪いせいか、詳しく覚えてはいないが、それでも、“ゆうれい”のうちでも、妖怪が出てきて人を食べてしまう話で、琵琶法師である芳一が、頼まれて、そんな場所で、琵琶を奏でなければならなくなってしまった。それを憐れんだ高名な坊さんが、芳一の体の隅々まで経文を、祈りをこめて書きこむ、こうすると妖怪には見えないのだ。そんなことで、安心しきった芳一が、その場所にでかけ、琵琶を演奏、曲目は「平家物語」で ♪・・・祇園精舎の鐘の声諸行無常の響き有・・・・・で始まり・・・精舎必衰の断りを表す・・・♪と続くあれである。

芳一、切々と語りつづける。と、そこに現れたのが、かの妖怪、声はすれども姿は見えぬ。それでも、よくよく見れば、両耳が浮かんで見える。がっかりした妖怪は 「しょうがねえなー耳でもいいか?」とパクリ、名残惜しそうに去ってゆく・・・・・そう、経文を耳に書き忘れたのだ。そんな訳で、これからのち彼は「耳なし芳一」と呼ばれるようになった。

だがしかし、この話本当は少し違っている。真実はこうだ、但し、おぞましい話でもあるので、語る人はいなかったが、あえて私が悪人になって語り継ぐことにしよう。・・・・・前述のくだりは同様なので異なる件だけ書くことにしよう。真実は耳にも書かれていたのだ。

では、どこを書き残してしまったのだろうか?・・・ん?・・・実は、こともあろうに、芳一クンの二つしかない「タマ」いわゆる局部のである。多分、高名な坊さんも、あまりにも汚らしいし、シワシワで書きにくくもあったので嫌になったのかもしれない。まあ、それはともかく、演奏に熱の入った芳一クン、着物の肌けるのもかまわず夢中で奏でているうちに、汚い「フンドシ」もゆるんでしまう。これを称して世間では「ユルフン」と言う。そんな状態だから「ポロリ」と「タマ」はみ出した。いわゆる、「ハミキン」である。妖怪もあまりにも汚いので驚いたのだが、そこは妖怪である、「パクリ」と食べた。もちろん、芳一もビックリ、まあ、ここで驚いても「アフターフェスティバル」日本語では「後の祭り」とでも言うのですか?こんなことでその後の彼は「タマなし芳一」と呼ばれたのだ。

よく宴席で「タマ」を出す人もいるが、そのうちに「ポロリ」と「タマ」を取られたりしちゃうのだろう。可哀そうだが仕方がない。そして、この話も心ある人々の間で長く語り継がれることを祈ってやまない。

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2015年

1月

07日

2008年4月15日

 散歩

10チャンネル朝10時から“チイ散歩”を放映している。役者である地井武雄さんが駅を中心に歩き回り、その町の特色を紹介してゆく番組である。

この番組を鑑賞できるのも私が、老人で時間に余裕があるからだ。だからと言って、一日中家に居る訳ではない。幸いにして、いまだに少しの仕事を持っているから、会社に行く。家から会社までは約6キロほどだが歩いてゆく、所謂 “散歩” がてらにである。1時間でつく、TVを観終わってからだから、昼になってしまう。雨の日は体に悪いので歩かない。そして、晴れた休日には通勤ルートをはやめて、新しいルートを探したりして散歩する。 

そんなゆったりした日に事件が起きたりする。かなりの速さで歩いていると「スーツ」 と、追い抜いてゆく人がいる。昔、陸上競技をしていたし、負けず嫌いなこともあって、他の人に追い抜かれるのは、虫の居所にもよるが、耐えがたいこともある。そんな時は、抜かれれば抜き返す。私が抜いてそのままならば、何も問題は起こらない。大体は、これで済むのだが、中には抜き返す人もいる。これから始まることは本来優雅である筈の“散歩”が激しい競争を巻き起こす。

全盛期の瀬古、宗兄弟が別大毎日マラソンにおいてゴール直前まで繰り返したデッドヒートを彷彿とさせる、老人の引用は時として、あくまでも古いので、多少の違和感もあるだろうが仕方のないことだ。

それはともかく、抜きつ抜かれつの戦いであるし、元来目的地を決めているわけでもないから、時として、とんでもない地方にまで足を延ばしてしまうこともある。先週の日曜激しい競争の果てに、ふと眼を上げると、チョモランマのイエローバンド、その上にサウスコルがはっきり見えるところを歩いていたのだった。道理で息苦しい。

とまあ、これは明らかにウソではあるが、年寄りに免じて大目に見てほしい。それはそれとして、私が勝利するのなら、あらゆる手段を講じる。 相手の脚力が明らかに上の場合、反則お承知で、走って抜き早足に戻してから横町をスイと曲がる。相手も相当な速度であるから、急には曲がれない。従って、まっすぐ行ってしまう。

今のところ、戻って再び競争することはない。この場合、私が勝利したという考え方をしている。冷静に考えてみれば、これほどの卑怯な手を使う私は、もしかしたら人間的に問題があるのかもしれない。

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2015年

1月

07日

2008年4月11日

定食屋

近場に、定食屋がある。敢えて店の名前は伏せる 。何故なら、恐ろしくまずいからだ。

私は一度行っただけなので、その後、心を改めて精進し著しく腕を上げていたら、申し訳ないのだが、その気配は感じられない。

その一度の経験を話そう。間口二間程で、昔は、白い暖簾だったのだろうが、現在は灰色に近い。触りたくは無いが、触らなければ入れないので触る面積を出来るだけ小さくして、入る。店内は雑然としていて清潔感に乏しい、お定まりのようにテーブルには透明のビニールシートが張ってある。触れると、手にべたつき、不愉快だ。端の席にいかにも常連と思われる客がいる。見た感じでものを言うのはいけないことだけれど、上品な私とは、正反対のタイプだ。 それはともかく、注文をする「天ざる定食」と言うと、間髪をいれず、「はいどうぞ!」と出てきた。手際が良すぎる、まあそれは我慢しよう、遅いよりも未だ良い。 天麩羅とざる蕎麦、かつ丼だ。天麩羅はべたべただし、蕎麦は柳腰だ。かつ丼は私が作ったほうがまだ良い。どうしたらこれ程凄い物が出来るのか?調理場を覗いてみたい。たぶん常連は何を注文すれば、不愉快にならずに帰宅できるかを知っているのだろう。 私は二度と行かないので、残念ながら常連への道は閉ざされてしまった。 どうしてもその店に行ってみたいという命知らず方がいれば、ご案内するのは吝かではない。但し、そのことで起こる苦情については一切受け付けない。 日本全国まずい店ランキングでも上位に来るであろうことは、「間違い無い!!」 ちょっと古いか?

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2015年

1月

07日

2008年4月6日

 喧嘩

“かすみ老人”と呼ばれている。逆光に頭部をさらすと、地肌に、かすみ草が生えているように見えるからだと、

命名者の弟が言った。考えてみれば、いや、考えてみなくても十分失礼な話である。余計ななお世話だ、何も好き好んで

こんな姿になった訳ではないのだ。乗り越えてきた幾多の試練と、強烈な遺伝子のおかげでもある。

父親は、私が32歳の時に亡くなった。頭は、いわゆる、“つるっぱげ”で神々しく光り輝いていた。しかも、私は、父の頭部に毛が生えている状態を残念ながら知らない。だから、随分と年季が入っていたと言える。 それにしても、父のことを“ぱげ”などと、書いてしまう私も、相当な親不孝者であることは否めない。 そのせいかどうか、数々の不幸に巡り合ってきた。

それはともかく、現在、訳あって弟と生活を共にしている。彼にしても、もう少しで60歳を迎える、老人予備軍の一人であるが、幸いにして前髪はばっちり残っていて、時として「あら、髪が多くて、手に絡みついちゃうな」などと言う、さらには、「その点“かすみ”だといいよね」とか憎まれ口を叩いたりするが、元来が、頭もよく、実に上品な私をすごく尊敬しているのは、屁をするよりも明らかなことで、

そのことを、的確に見ぬいいる私も大したものだと言わざる得えない。だが、“かすみ老人とは言い得て妙だ。なぜなら、鏡に映る我

頭部を、しみじみ眺むれば、良く解る。それでなくとも、急な雨模様で雨粒が地肌を直撃することですでに悟っていることだ。

まあ、弟にしたところで、頭頂部が薄くなっている事を私は気ずいている。50歩100歩と言ったところか。

普通、本当のことを言われると、ついつい、怒ってしまいがちなものだが、私は怒らない、それは、人間がすごく出来ているからだ。

むかし「見えすぎちゃって困るの、困るの・・・・・」とTVで流れていたことを旧式な人間は覚えていてくれるだろう。そう言った訳で、

「出来すぎちゃって困るの、困るの・・・・」とつい、歌いたくなってしまうほど人間が出来ている。

野村胡堂原作「銭形平次」の“がらっぱちの八五郎”が平次の素晴らしい推理を「あっ、なーる」と納得してしまうくらいである。

そんな訳で、“かすみ状”になっている為に、人々となるべく摩擦を起こさない様に生きて行くことが求められる。

例えば、摩擦お起こすと、喧嘩になったりする。そうなれば、当然、掴み合いや、殴りあいななる。

どちらも嫌だが、特に掴み合いが嫌だ。これでさらに前髪を失うことえの恐怖があるからだ。かすんだ髪は、それぞれが、独立していて、隣の髪からの援助が無い、従って、抜けやすくなるのである。だから、悔しいことではあるが、頭髪を掴まれそうになった段階で

「まいりました、あたしが悪うございました、お許しください」と、謝らざる得ず、涙ながらの敗北宣言となる。そうでもしないと、父同様

“つるっぱげ”状態となる。まさに“かすみ老人”の悲劇である。

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2015年

1月

07日

2008年4月2日

老人道を学ぶ

とかく “道” と名のつくものに生きることは、シチ面倒くさいことが多い。

それだけに、“みち” を理解し具現している様を見るのは、心を打たれる。 いわく、茶道、剣道、柔道、

セックス道、・・・・・この最後の道については、戸惑いが随分あったが、身近にそういった人が2人いるので

やむ負えず入れさせていただいた。実に恐縮なことだ。

 私もついに65歳を超え、名実ともに、老人の仲間入りをしたと思う。

そして、“老人道”を学ぶべく、世間の荒波の中へ、漕ぎ出だしてゆくのだ。

このさき、幾多の試練が待ち構えていようが、乗り越えて行きたい。

ことを始めて行こうとしている今、特にこの、「“老人道”を学ぶ」のフレーズが、なにやら、

知性と品格をかもしだしていて、素敵である。

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2014年

12月

26日

由来

突然 かすんで来た訳ではない 、65年以上もかけて地道に、かすんだ訳だ。

但し、努力した訳でもない。自然の導きによって、このような状態が出来上がったのである。

いや何、大した話ではなく、わが頭髪の現状を説明してみたのだ。

自分ではあまり気にしてはいなかったのだが、冬のある日、夕焼けに輝く富士を見つめていると

いつの間にか後ろに近ずいた弟が、私の頭部を見て 「あれ!髪の毛がかすんで 頭の恰好が良く解かる」

それ以来、「かすみ老人」と呼ばれている。不愉快なことだ 例え、弟でも許したくはないが

そんな事を言う弟には、天罰が当たるに違いない、万が一、当たらなかった場合

ぐっすり寝ている弟の頭髪をむしり取ることにしよう。もし逆らうようだったら亀甲縛りにでもして実行しよう。

それにしても、鏡が示す現実は、それを認めなければならないのだろう。

なんだか残念な気がする。

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2008年

5月

03日

反乱

瞳のやや上に、焼きのりを2枚張り付けているように見える人がいる。このような人を“マユラー”と呼んでいる。世間一般では、少数民族の「大眉毛族」に分類される。いわゆる、マイノティーである。実際に見たことはないのだが、中国の山奥に居住する「多毛族」に数多くの“マユラー”が存在すると言われているが、しかし、彼らの場合、顔中に毛が生えていて、眉毛の判定が難しい。もしかしたら違うのかもしれない。ともかくも、珍しい民族であるから、でき得れば国家レベルでの保護も視野に入れて、老後の対・・・いや、今後の対策としてほしい。

そもそも、「大眉毛族」とは、眉毛の密集率が極端に高い人種を表す。そこで基準となるのは、3ミリ平方中に140本以上の発毛があり、更には、マユソン比で表わされる眉毛のタテ×ヨコの比率で分類される。一応タテ18ミリ以上30ミリ以下、ヨコ45ミリ以上となるが、ヨコが長すぎ左右の眉がつながってはいけない。 万が一つながっていれば、それは、「一本眉族」なのだ。 テトラポットの間で発見された“若人あきら”氏が典型的な「一本眉族」である。 密集率とマユソン比がともに満たされてこそ「大眉毛族」を名乗れるが、多くを見かけることは難しい。現存する彼らのルーツを探ってみることにしよう。

彼等は、どこからやってきたのか?私見を話すことにしよう。

「大眉毛族」は、何を隠そう混血児なのだ。南方からやってきた「熊襲」と、北方から現れた、「白露族」が東北地方で出会った。最初のうちは、お互い遠慮があって、酒などを交換する程度であったが、そのうち酒を酌み交わすほどにもなったとき、間違いが起こった。その結果、290日後には混血児、つまり、ハーフが誕生したのだ。

ちなみに、この私も、九州男児と浪速女とのハーフである。それはともかく、比較的眉毛の濃い民族同士であったから、混血の繰り返しにより「大眉毛族」遺伝子として確立したのである。一時は繁栄したが、ただ眉毛が太いということで多民族から“イジメ”をうけ衰退していった。しかし、一部が東北山間部にかくれ、猿や雉たちと一緒に生活していた。そんな自然の中で、優秀な人物が多数生まれて一族の人口も増加していった。そして世に出る機会をうかがっている。

もしも、「大眉毛族」が、このうえ増加すれば、本来優秀な民族である彼らが支配する世の中が出来上がってしまう。通常眉毛の私たちは単に眉毛が薄いと言うだけで逮捕されてしまうに違いない。したがって、外出時には「プロピア」あるいは「アートネイチャー」等で制作された“付け眉毛”を装着せねば公の場所への立ち入りは不可能となる。但し、緊急の場合のみ、焼きのりで代用してもよいが、くれぐれも、天候には注意してほしい。雨にあったらとれてしまうからである。

そんなことで、彼らの保護は慎重であるほうが良い。ある意味、チベット問題よりもデリケートでもある。 

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